詩人、江南文三は戦時中、「法華経」をわかりやすい現代語に訳した「日本語の法華経」という書物を発表しています。
噛んで含めるようなわかりやすい訳で、これなら誰でも「法華経」を簡単に勉強できるのではないでしょうか。
さて、その前文に、第二次世界大戦(江南文三は大東亜戦争と記しています)の意義について書かれた一文があります。
それは今次大戦が全体主義国家と個人主義国家との戦争である、と。
全体主義は社会全体のことを考え、個人が犠牲になるのもいとわない生き方で、個人主義は自分さえよければよく、社会全体のことなどどうでもよい、という生き方なので、全体主義のほうが上等であり、必ず全体主義側が勝利しなければならない、と説いています。
これを読んだとき、びっくりしましたね。
私が歴史を学んだのは、米ソ冷戦時代。
全体主義を称揚するような言説に触れたことはありませんでした。
しかしおそらく、全体主義がよい、というのは多くの国民に支持されていたのでしょう。
だからこそ政治家でも政治学者でもない詩人が、宗教書の前文に全体主義の勝利を望む一文を寄せたのでしょう。
そう考えてみると、現在ある制度の中では比較的マシとされている自由民主主義が、未来永劫自由主義社会で持て囃されるとは、到底思えません。
時代とともに価値観も変わります。
現在の価値観では、信長も頼朝も中大兄皇子もみな血なまぐさい犯罪者です。
しかしだからといって、彼らを非難することはありません。
彼らは時代のスタンダードに従って生きたからです。
日本の朝鮮・中国への侵略も、アメリカによる日本への無差別爆撃も、明らかな犯罪ですが、それを今の常識から責めても仕方ありません。
彼我ともに、時代のスタンダードに従って、植民地や地下資源の獲得競争を行ったに過ぎません。
自由民主主義の次に来るものは何でしょうね。
新自由主義はブッシュJrと小泉元総理の引退とともに勢いを失いました。
それでは北欧型の社会民主主義か。
それをするには日本はいささか図体がでかいように思います。
結局まだわからない、としか言いようがないですね。
日本に自由民主主義が定着してまだ60年あまり。
まだまだ自由民主主義の時代が続くでしょう。
今時代のスタンダードは、戦争を避けながら利害調整をすることにあります。
地域紛争や内乱は今も頻発していますが、軍事大国同士がガチンコで戦うことは、ちょっと想像できません。
それならば外交上手になって、いざというときの国防力も高めつつ、毎日の面倒な交渉事に当たるほかありますまい。
私たちは絶対的に正しい政治体制など存在しないことを肝に銘じて、比較的マシな民主主義を守っていく他ありますまい。
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