主に男が犯す愚の一つに、思想や大義のために過激な行動をとることがありますね。
現代で言えばイスラム過激派などの宗教組織によるテロ。
二十五年前には、左翼過激派によって当時の国鉄浅草橋駅が焼かれ、私が通っていた高校は臨時休校になり、高校生だった私は不謹慎にも喜びました。
ナチや共産主義、日本の軍国主義なども、思想や大義のために愚挙にでました。
さかのぼって、西南戦争などの不平士族の反乱は、武士の命ともいえる刀を取り上げられることへの精神的苦痛の表明でもあったことでしょう。
明治九年、西南戦争の前年ですが、神風連の乱が熊本で起きました。
政府軍を急襲し、損害を与えましたが、戦いは呆気なく終わり、神風連の士族たちは多くは戦死または自刃しました。
神風連は、宇気比(うけい)と呼ばれる儀式によって神託を聞き、忠実にそれに従った、と言います。
どんなに有利な条件でも、神託が不可であれば決行を思いとどまり、またどんなに危険な状況であっても神託が可であれば、断然これを決行した、とのことです。
神風連の士族が狂信的に神道を信じ、その神託が絶対であったかどうか、今となってはわかりません。
しかし、いくらなんでもわずか200名たらずで政府軍に勝てるとは思っていなかったでしょう。
恐らく廃刀令が出て、もはや自分たちは時代から取り残された遺物に過ぎないことを悟り、武士の本分である戦による死、及びそれに付随する自刃を望んだのではないでしょうか。
三島由紀夫は「豊饒の海」の第2部「奔馬」で、神風連に深く心酔する20歳の青年を登場させ、テロの後自刃させています。
自身の未来を暗示するような作品で、神風連の思想についても言及しています。
思うに、テロそしてその後の自殺というのは、大義の死に酔い、至高の体験としての死を選択した、ということではないでしょうか。
迷惑な話です。
それは、現実の利益を度外視した、社会秩序を脅かす危険な行為です。
破滅に向かって突き進む姿が美しく見えるのはなぜでしょうね。
しかし映画や芝居とは違って、現実の破滅は、苦しく醜いものでしょう。
美とは対極にあると思うのです。
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