鼻たれ小僧

文学

 今朝某新聞で、東京演芸界の大御所、内海桂子師匠のインタヴュー記事を目にしました。
 1922年生まれの90歳。
 関東大震災の前年生まれというから驚きです。

 今なお寄席やテレビで活躍するどころか、ツイッターなども駆使して現代社会を笑い飛ばすその精神の運動が奈辺にあるのか、私には想像もつきません。

 しかしこの人にして、高齢者特有のいやらしい言説が見られ、鼻につきました。
 つまり、60、70鼻たれ小僧、そのくらいの年で老けこむんじゃない、というものです。

 ご当人はたまたま健康に恵まれ、90歳にしてなお元気でいられるからいいものの、定命は天の知るところ、人の知るところではありません。

 多くの人が、60、70を過ぎて元気でいられるわけではありません。
 若くして健康を害し、亡くなる方もあまたおられます。
 自分を基準に他人が老けこむのを責めるのは下品というものです。

 相方の内海好江師匠が61歳で亡くなったことをお忘れですか。

 自分は特別な健康の天才児に生まれたということを自覚して、天に感謝し、他人の老いを叱るような真似はお止しなさい。

 それと、昔は良かった式の言説。
 これはもう永遠の繰り返しで、「徒然草」にも、当時の風俗を批判して、
 何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。
 と、昔は良かった式の言いようが見られます。

 内海桂子師匠曰く、昔は粋な人が多かった、今の人は顔つきからして卑しい、など。
 しかし今の人は50年もすれば昔の人になり、内海桂子師匠が言う粋な昔の人も、当時の老人からみれば現代風の駄目な人だったに違いありません。
 要するに時間とともに表面が変化しただけのこと。
 
無常こそがこの世の本質と知れば、安易に昔は良かったなどとほざけないはずです。

 人間の本質など、4,000年以上変化などしてはいますまい。


 私はまだ老人と呼べる年になってはいませんが、20年前より明らかに今のほうが暮らしやすくなっていると感じます。
 街はより清潔になり、公共交通機関はますます発達し、公衆トイレ1つとっても、明らかに清潔になっています。

 さらには情報革命が進み、コミュニケーションや情報検索は素早く、簡単にできるようになっています。

 若者の変化が若者の劣化であるはずはなく、もしそうだとすれば、その若者を育てた現在の中高年に責任があると言わざるを得ません。

徒然草 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
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