2009-06

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美術

現代アート

先日NHKで、別府市で行われている現代アートのお祭りが紹介されていました。 別府市の民家と言わず、公園と言わず、路地までも、展示場にして、ありとあらゆる現代アートを展示しているのです。 現代アートというと、ピカソやダリに代表されるような、シュールリアリズムから出発して、独特の世界を築いた美術家たち、という印象がありましたが、今はさらに進んで、もっと自由というか勝手気ままに、創作を行っているのですね。 全身黒づくめの格好をしてただ地を這い回り、それを撮影したものや、木に本をくくりつけただけのものや。 正直言って、なんだかわかりません。 美術というくらいだから、「美」を感じさせないといけないんじゃないかな、と思います。 あれは美術というより自己顕示のパフォーマンスですね。 変わったことをすれば良い、というような風潮は戒めるべきですね。 きっと近代にいたるまで、美術という概念は希薄だったんじゃないでしょうか。 仏師にしても絵師にしても、基本は注文に応じて創作します。 ヨーロッパのキリスト教芸術も、布教や、キリスト教の素晴らしさを称揚するためのものです。 いわば、主持ち。職人に近かったのではな...
その他

週なか

水曜日、週の真ん中ですね。 なんとなく気が抜けます。 GMが倒産したり、飛行機が行方不明になったり、中東では人が殺しあっているのに、私は私を自由に制御することすらできません。 世の中のために自分を犠牲にして働いている人は、立派なものだと思います。私には、そんなことは思いもよりません。  ただ己の安寧を求めるばかりです。 森鴎外は、「明日幸せになろうと思っていたのでは、永遠に幸せになれない」と言っています。幸せは将来にあるのではなく、今この瞬間にあるのですね。 一方ヒトラーは、「大衆に、地獄を極楽と思わせることも、極楽を地獄と思わせることも簡単だ」と言っています。 いずれにしても気の持ちようということでしょうが、自己の気の持ちようと、独裁者によって洗脳されるのでは、ずいぶん違うでしょう。 しかし私は、宗教や、政治団体に洗脳されてみたい、という暗い欲求を持っています。いわば麻薬に酔ったような状態で日々を過ごせたら、そのほうが幸せなのではないか、と。
仕事

幸せとしらけ

今、私は十八年のお勤め生活のなかで、最も気楽な部署に配属されています。 正直に言って、こんな楽な部署があるとは、思っていませんでした。 幸せです。 しかし同時に、物足りなくもあります。 パワーハラスメントを受けてから、私は仕事に対して、しらけきっています。 昔は多少の勤労意欲があったのですよ。 でも今は、最低限の仕事をこなせばいいや、という気分です。 昇進もしたくありません。 多少給料が上がるにしても、煩わしいことが増えるだけです。 また、勤労意欲がわいてくることがあるのでしょうか。 疑わしいかぎりです。 まだ定年まで二十年もあります。 つまらん、つまらんと繰り返して、なんとなく勤めちゃうんでしょうね。 億劫なことです。
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