2010-07

スポンサーリンク
思想・学問

花嫁人形

冥婚という風習をご存知でしょうか? 日本や中国、韓国などの東アジアに広く見られる、死者の結婚です。 結婚することなく亡くなった息子や娘のため、花嫁人形や花婿人形を寺に奉納して結婚した、と見なしたり、人形を使って実際に結婚式を行ったり、という儀式です。 東アジアでは祖霊信仰が盛んなので、結婚せず、子孫も残せなかった無念の思いを晴らそうということのようです。 しかし実態は、親や親族の癒しのためでしょう。 若くして死んだ者が、祖先になりたい、などという欲求を持っていたかどうかなんてわかりませんし。 仏壇にお供え物をするのと大して変わりません。 ただ、奉納された人形を見ると、なかなか迫力があります。 私は写真で見ただけですが、生前の写真と、一対の花婿・花嫁人形が並べられているのは、そこに強い親族の思いが込められているようで、その情の強さに、戦慄すら覚えます。 ひるがえって現代、アラサーだとかアラフォーだとか、婚活だとか負け犬だとか、ずいぶん結婚しない、あるいはできない妙齢の男女が増えています。 さらに、日本では認められていませんが、同性同士の結婚や、籍を入れない事実婚など、結婚にまつわる事態は...
その他

三か月

今日で無事、復職から三カ月が過ぎました。 火曜日に体調不良で休みましたが、三か月で有給を丸一日使ったのはこの日だけです。 予想以上に順調です。 有給はまだたくさん残っているし、何より通えていることが自信につながっています。 8月。 暑いと体が重くなりますが、なんとか乗り越えたいものです。
文学

時とともに

何事も、古き世のみぞ慕わしき。今様(いまよう)は、無下(むげ)にいやしくこそなりゆくめれ。 鎌倉時代のブログともいうべき、「徒然草」第22段の冒頭です。 はるか鎌倉時代から、人々はその当時の風俗や言葉遣いを嘆いていたことが分かります。 現代日本語も、短い間に変化しました。 古い映画やニュースで語られる日本語は、今とはずいぶん違います。 まず、早い。 小津安二郎や黒澤明の映画など、早口で、かなりきつい東京弁です。 書き言葉で言えば、明治から始まった口語文。これの普及で、古文漢文をすらすら読むことは、現代人には困難になりました。  戦後、新仮名遣いが始まり、日本語の変化は加速しました。 怖ろしいことに、敗戦のショックかコンプレックスか知りませんが、敗戦直後には国語教師の間で日本語をすべてローマ字化しようという運動さえありました。 そして、現代。 いわゆるギャルと呼ばれ、自らもそう称している頭の弱そうな若い女性が放つ言葉は、私のようなおじさんにはとても下品に聞こえます。 もはやら抜き言葉などは本来の言葉に取って代わりました。 近い将来、らをきちんと発声しただけで、年寄り扱いされるかもしれませ...
思想・学問

近頃は、どこへ行っても、誰に聞いても、金がないのオンパレードです。 国立大学等の教育研究機関は、平成16年度の法人化以来、毎年度1%予算が削られ、電気代すらおぼつかない状況です。1%というと、中規模総合大学で毎年5億円もの予算が削減されている計算になります。 その代り、グローバルCOEやら科学研究費補助金やらの競争的資金獲得を目指し、国公私立取り混ぜてパン食い競争を繰り広げているような状況です。しかもそのパンは、日持ちがしないのです。長くて5~6年。獲得できたとしても、すぐに次の競争に参加しなければなりません。 巷間言われているように、そう遠くない将来に、競争力の弱い大学、特に地方の単科大学などは、ばたばたと潰れていくでしょう。 昨今、ゆとり教育は失敗だったとばかり、詰め込み教育が復活しています。 鉄は熱いうちに打て。 暗記できる若いうちにできるだけ詰め込むべきでしょう。 バックグラウンドになる知識がなければ、まともな判断はできません。 それならば高等教育はどうか? 有名国立大学でも、理系の学生の数学や物理などの基礎知識が不足しており、高校レベルの補習をやっているような状況です。 今の...
その他

先ほどNHK-BSで当代一流の売れっ子たちによる歌番組が放送されていました。  アイドルだったり、ロックだったり。 でもどうしてこんな浅はかな、自慰行為のような歌ばかりなんでしょうか?  じつはそのことは、ずいぶん昔から感じていた疑問です。 私が幼いころ、ピンクレディーやら新御三家やらの歌が、しょっちゅうテレビから垂れ流されていました。 同時に、貧乏くさい四畳半フォークだの、思想性があるという触れ込みのロックだのも。 しかし私にはどれも、浅はかな自己憐憫にしか聞こえませんでした。 それはきっと、レコードからCD、はてはインターネット配信と、大量の歌が、大勢に同時に聞かれるようになってからではないかと推測しています。 つまり、歳月による審判を受けていないのですね。 それらは時代をうまく捉えたのかもしれませんが、歌が持つ本質的な芸術性を獲得し得ていない、ということだと考えます。 古来わが国では、歌といえば、和歌であり、それが連なった連歌などでした。 それは短い定型詩であるがゆえ、多くの制約と約束事によって、いやでも言葉を選ぶことに慎重にならざるをえません。 現代の流行歌にみられるような、あ...
スポンサーリンク