2010-08-17

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文学

残暑

昨日、今日と、地面から蒸し上げるような熱気がこみ上げ、私が住む町は残暑とは思えない猛烈な暑さに見舞われました。 近頃は朝晩二回、水のシャワーを浴びていますが、水道水さえ肌にぬるく感じられます。 エアコンも一晩中かけっぱなし。 タイマーをかけて寝ても、冷房が止まったらすぐに目が覚めてしますのです。 外での肉体労働に従事している方は、さぞやお辛いことでしょう。 死ぬほど暑いといって、本当に亡くなる方が後を絶たないのですから、常軌を逸しています。  アスファルトジャングルが暑さを加速させている、という説がありますね。 しかし、 熱さ哉 八百八町 家ばかり   上野から 見下す町の あつさ哉 当時の気温や湿度の記録はないでしょうから客観的な比較はできませんが、少なくとも主観的には、上記二句からうんざりするような暑熱を感じます。 正岡子規の句ですが、明治の帝都も暑そうです。 エアコンも扇風機もなく、シャワーもないし内風呂も普及していなかったでしょうから、さぞ暑くて不快だったでしょうねぇ。
思想・学問

ネズミ算

日々小説や映画などの物語に接して、ぼんやりとした不思議を感じます。 例えば1000年前の「源氏物語」を読んでいて、私は私の「源氏物語」を再編成しているわけですが、これがあらゆる物語の享受者によって同時並行的に行われるということは、驚愕すべき事態です。  作者はAという物語を作り上げます。そしてそのAは、作者にとって一種の自己弁護に過ぎません。 作者が面白い、もしくは美しい、あるいは正しい、と思う、作者にとっての良い物を自慰のように垂れ流すのです。 そしてAを鑑賞するものは、Aを元にして、Aとよく似た、しかしAとは違うA´を作り上げます。 仮にAを100人の人が鑑賞したなら、100のAのような物語が生まれるわけです。 これが同時に、しかも時代を超えて行われるわけですから、Aによって無限の物語が生まれ、拡大再生産を続けることになります。 それが外国の作品であれば翻訳によって、また古典であれば現代語訳によって、また、舞台化や映画化によって、Aのヴァリエーションはもはや収拾不可能なパラレルワールドを生み出します。 まるでネズミ算のようです。 物語が人の数だけ拡がっていく様を、芥川龍之介は「藪の...
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