2010-08-23

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社会・政治

阿久根市長、リコールか?

阿久根市長をリコールに追い込もうとする運動が始まりましたね。 市議会への出席を拒否して専決処分を連発してきたのですから、当然でしょう。 目指していることが仮に正しくても、やり方が間違っていれば、民主主義社会では通りません。 政策の中身と同等に、手続きを重視する、というのが民主主義社会です。 面倒な手続きを経なければ物事が進まないことを、お役所仕事などといって揶揄しますが、そのお役所仕事によって、不正な事案の発生阻止が担保されていると言えましょう。 万事遺漏なきお役所といえど、様々な法律規則でがんじがらめに縛られ、仕事が新たな仕事を生む永久機械のような状況では、ミスも起きます。ミスが起きればさらに再発防止策がとられ、ますます仕事が増える悪循環です。じつに滑稽です。 その面倒くささに嫌気がさすのはわかりますが、独裁は許されません。 阿久根市のように市長が独裁的に市政を運営したことで、張り紙をはがしただけで係長が懲戒免職をくらったり、ボーナスがいきなり半分になったり、市長一族が経営する土建屋が予定価格とほとんど同じ金額の札を入れて落札したりするのです。 阿久根市長は住民至上主義を掲げて、自ら...
思想・学問

脱自(ekstasis)

昨日41歳になり、私はあらためて来し方を振り返ったのでした。  実際に存在する私(existence)は、死に向かう一方通行の時間に閉じ込められながら、死に向かう時間を忘れて、あるいは無視して日常の雑事にかまけています。そこにあるのは、ハイデガー言うところの対象化された私です。 様々な日常との関係性のなかで生きている私とも言うべきでしょうか。 ハイデガーは、非対象化した生き方、脱自(ekstasis)を求めます。  これは理論としては面白いですが、実際には無理でしょう。ekstasisは恍惚とも訳され、性的絶頂の意もあります。  三島由紀夫は「絹と明察」という小説で、以下のように簡略に説明しています。 自己から漂い出して世界へ開かれて現実化され、根源的時間性と一体化する。 また、和泉式部の和歌に、 もの思へば 沢の蛍もわが身より あくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る という、魂が遊離した恍惚状態を歌ったものがあります。 いずれも脱自(ekstasis)ですね。 私はこれらのことを知識として知りながら、やっぱり対象化した私でしか、生きられません。 また、同じ歌人の歌に、 冥きより 冥き道に...
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