2010-08

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精神障害

婚活疲労外来?

都内某精神科クリニックが、婚活疲労外来なる看板を掲げたそうです。 院長いわく、結婚は人生の重大事で、それを求めて日常的に行動することは大きなストレスであり、まして気に入った相手に交際を断られることは重大な挫折体験になり、何度も断られると精神疾患に陥る可能性が高いため、専門医のケアが必要、だそうです。 それはそうでしょうねぇ。 失恋の痛手は大きいですからねぇ。 でも失恋外来とは言わないところを見ると、もっぱら結婚を目指してかなわず、精神に変調をきたした人を治療するのでしょうか? 風が吹けば桶屋がもうかるではないですが、未婚男女が増えると医者が繁盛するんでしょうかねぇ。 いつの時代も流行りというものがあります。 「曽根崎心中」が流行ったときには、実際に心中するカップルが続出したとか。 1980年代に有名アイドルが飛び降り自殺したら、後追い自殺が大勢でました。 おのれの命まで流行に左右されるとは。 それを思えば、流行に追われるように結婚を目指すなどは、微笑ましいかぎりです。 そういえば、男女雇用機会均等法が制定される前後、クロワッサン症候群とか結婚しないかもしれない症候群とか、独身を貫く生き...
文学

南方浄土

浄土というと西方に在るというのが一般的ですが、平安時代から江戸時代にかけて、南方の浄土を目指す命がけの渡海が行われていたことを、最近知りました。 西方浄土の場合には、あくまで信仰上の問題で、実際に西に向かって旅立ったという話は寡聞にして知りません。 しかし南方の場合には、多く那智の海岸から、小舟を仕立てて、あえて台風の多い11月に、僧侶一人が乗りこんで、海流のままにこぎ出したそうです。 南方の海の彼方に浄土があると信じたのですね。 当然のことながら、その小舟がどうなったかという記録はほとんどなく、いわば即身成仏のような、自殺行だったと考えられます。  これを、補陀落渡海(ふだらくとかい)と呼んだそうです。  私はこれを、井上靖の「補陀落渡海記」という作品で知りました。 那智の補陀落寺の住職は61歳になると補陀落渡海に出るならわしがあり、周囲の圧力から逃れられません。 住職、金光坊はこの自殺でしかない宗教儀式の時を、死の恐怖と信仰の狭間に揺れながら待っています。 そして渡海後、金光坊は船から逃れて小島に上陸し、生き延びようとしますが、役人や信者に捕えられ、再び渡海を強要されます。 井上靖...
文学

残暑

昨日、今日と、地面から蒸し上げるような熱気がこみ上げ、私が住む町は残暑とは思えない猛烈な暑さに見舞われました。 近頃は朝晩二回、水のシャワーを浴びていますが、水道水さえ肌にぬるく感じられます。 エアコンも一晩中かけっぱなし。 タイマーをかけて寝ても、冷房が止まったらすぐに目が覚めてしますのです。 外での肉体労働に従事している方は、さぞやお辛いことでしょう。 死ぬほど暑いといって、本当に亡くなる方が後を絶たないのですから、常軌を逸しています。  アスファルトジャングルが暑さを加速させている、という説がありますね。 しかし、 熱さ哉 八百八町 家ばかり   上野から 見下す町の あつさ哉 当時の気温や湿度の記録はないでしょうから客観的な比較はできませんが、少なくとも主観的には、上記二句からうんざりするような暑熱を感じます。 正岡子規の句ですが、明治の帝都も暑そうです。 エアコンも扇風機もなく、シャワーもないし内風呂も普及していなかったでしょうから、さぞ暑くて不快だったでしょうねぇ。
思想・学問

ネズミ算

日々小説や映画などの物語に接して、ぼんやりとした不思議を感じます。 例えば1000年前の「源氏物語」を読んでいて、私は私の「源氏物語」を再編成しているわけですが、これがあらゆる物語の享受者によって同時並行的に行われるということは、驚愕すべき事態です。  作者はAという物語を作り上げます。そしてそのAは、作者にとって一種の自己弁護に過ぎません。 作者が面白い、もしくは美しい、あるいは正しい、と思う、作者にとっての良い物を自慰のように垂れ流すのです。 そしてAを鑑賞するものは、Aを元にして、Aとよく似た、しかしAとは違うA´を作り上げます。 仮にAを100人の人が鑑賞したなら、100のAのような物語が生まれるわけです。 これが同時に、しかも時代を超えて行われるわけですから、Aによって無限の物語が生まれ、拡大再生産を続けることになります。 それが外国の作品であれば翻訳によって、また古典であれば現代語訳によって、また、舞台化や映画化によって、Aのヴァリエーションはもはや収拾不可能なパラレルワールドを生み出します。 まるでネズミ算のようです。 物語が人の数だけ拡がっていく様を、芥川龍之介は「藪の...
思想・学問

犀の角 

私のまわりでは、結婚するよ、という友人・知人からの知らせより、離婚しました、という報告のほうが多くなってきました。 私の年齢が上がって、これから結婚する友人より、すでに結婚した友人が多いからかもしれませんが、せっかく縁あって一緒になったものをもったいない、という思いと、嫌なら一分でも早く分かれたほうがよい、という思いとが、交錯します。 以前、ヘレン・フィッシャーという人類学者が、「愛はなぜ終わるのか」という著書で、恋愛の寿命は四年だ、という説を唱えて、世の浮気者を喜ばせました。 もしかしたら本能的にはそうなのかもしれませんが、人間と人間の付き合いが、四年で終わるわけもなく、焼ぼっくいに火がつくなんて言葉があるとおり、それが男と女であれ、同性同士であれ、複雑な人間関係は長々と続くのが当然です。 そうでなければ、添い遂げる夫婦があまたいるという事実が腑に落ちません。 ただ、社会が離婚に寛容になったことはたしかでしょう。  「ニューヨークの恋人」という映画で、19世紀からタイムスリップしてきた青年貴族が、現代のニューヨーカーを演じるメグ・ライアンに自由恋愛について大真面目に力説し、吹き出され...
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