2010-09

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社会・政治

ゾディアック

DVDで「ゾディアック」を観ました。 「セブン」や「ファイト・クラブ」で暴力や狂信など、人間の暗部をえぐるテーマを題材に上質なエンターテイメントを製作してきたデヴィット・フィンチャー監督がメガホンをとったサスペンスです。 1969年から1974年にかけてサンフランシスコ周辺で起きた連続殺人事件で、犯人が警察やマスコミに暗号文を送ってきたりして、日本人には馴染みが薄いですが、アメリカでは有名な事件だそうです。 限りなく黒に近い灰色の犯人らしき人物が1991年に起訴されましたが、係争中に死亡し、死後のDNA鑑定で事件現場のDNAと一致しなかったため、現在も捜査中という実質的には迷宮入りした事件を、丹念に描いています。 実話ならではの迫力がありますが、一方エンターテイメント性に欠ける感は否めません。しかも二時間半の大作のため、途中退屈しますが、見えない犯人に踊らされて警察や新聞記者が右往左往する様は、滑稽ですらあります。 宮崎勉や酒鬼薔薇聖斗の事件などの残虐で呪術的なシリアル・キラーと比較すると、殺人の手口があっさりしていて、この事件が牧歌的にさえ思えてきます。 なんでも「ダーティー・ハリー...
お笑い

谷啓さん

谷啓さんが亡くなられました。 力の抜けた洒脱な役者でした。 本来はミュージシャンだったのでしょうが、私の記憶にある谷啓さんは、コントやドラマ、映画で粋な芝居を見せる、喜劇役者でした。 植木等やいかりや長介、渥美清や三木のり平、益田喜頓など、かつては爽やかな東京弁の喜劇人が多くいました。いずれも鬼籍に入られてしまいました。 近頃は関西弁を武器にしたやつばかりで、東京ではビートたけしが一人気を吐いていますが、そのたけしも監督業に忙しいようです。 とんねるずは内輪話ばかりで純粋な喜劇人にはみえません。何より枯れた味わいがありません。 寄席に行けば今でも多くの東京弁の喜劇人を観られますが、彼らは爆発的にブレイクすることがありません。 かつて渥美清がフランス座でストリップの合間にコントをやっていたころ、評判が評判を呼び、本来なら早く女の裸踊りを見せろ、コントひっこめ、などと野次を飛ばされるはずが、渥美清に限っては、ストリップはいいからあの四角い顔したコメディアンを見せろ、とストリッパーが野次られ、ストリップ小屋始まって以来最初で(多分)最後の、喜劇見たさに客であふれかえるという珍現象が起きたそう...
思想・学問

閨房哲学

サド侯爵の作品は、文字通りサディズムに溢れており、ときにそれは滑稽なほどですが、話の合間に、登場人物たちによる長い哲学的な会話が交わされることを特徴とします。 その特徴は、まずアンチ・キリスト、それに死後の不存在、さらに快楽至上主義、また人間の法より自然の掟、といったところでしょうか。 「閨房哲学」はサド思想を知るうえでもっとも平易な作品ですが、そこで殺人を正当化する理屈が語られます。 自然にとって、人間の命も動物や虫の命も等価値なはずで、人間が牛や豚を殺すのと殺人を犯すことは、どちらも残虐非道な犯罪か、あるいはどちらも取るに足らないことでしかない。人間は他の生物を殺害しなければならない宿命を負っており、牛や豚を殺すことは取るに足りないことだ。したがって殺人も取るに足りないことだ、というわけです。 屁理屈みたいなものではありますが、幼児に「どうして人を殺しちゃいけないの?」と問われると、なかなかうまく答えられないのではないでしょうか。  例えば絶対に捕まらないという保証があり、殺せば莫大な金が手に入る、という状況で、眠っている老い先短い老人を前に出刃包丁を持っていたとしたら、どうするで...
社会・政治

モスク

最近、グラウンド・ゼロの近くにモスクを建設する計画が米国で論議を巻き起こしていますね。 米国が守ってきた価値観によれば、犯罪集団でないかぎり、いかなる宗教団体であっても、地権者との契約に基づいて任意の場所に宗教施設を建築できるはずです。 実際、オバマ大統領はそのような発言をし、アメリカ中から非難を浴びました。 グラウンド・ゼロの近くにイスラム教のモスクって、いくらなんでも犠牲者および遺族に対する配慮が足りないんではないの?、ということのようです。     感情としては、モスク建設に反対する米国人の気持ちもわかりますが、9.11テロを計画、実行した過激思想のイスラム教徒と、ニューヨークで暮らす一般的なイスラム教徒を一緒にしてはいけません。  ほとんど信じてないけど結婚式や葬式はキリスト教式で、ごくまれに教会に行くし、たまには聖書を読もうと意気込んで挫折する、微笑ましいなんちゃってキリスト教徒と、厳格に聖書の教えを信じる原理主義者と、両極端な人々を同じようにキリスト教徒と呼んでいます。 テロリストは昔懐かしい十字軍の頃の宗教戦争に擬しているようですが、米国政府までその挑発に乗ってはあまりに...
文学

みみらく

「蜻蛉日記」に、死者と会える島、みみらくについての記述があります。 死者はみみらくに現れるのですが、現世の人がその島に近づくと消えてしまう、とも。 いずくとか 音にのみきくみみらくの しまかくれにし 人をたづねん(『蜻蛉日記』)  この伝説は京都で流行り、京の人々はそういう島があるなら行っていみたいものだ、と思いながら、そこへ向かおうとはしませんでした。 ここが、恐山の口寄せと大きく異なりますね。 人々はただ死者を想い、いつかはみみらくに行って再会を喜び合おう、と思っていたのでしょう。 しかし、近付くと消えてしまう幻の島です。 上陸は夢のまた夢です。 現在では五島列島の福江島と考えられ、かつて遣唐使船の国内最後の寄港地だったとか。 遣唐使は命がけの渡海でしたから、この港を出れば生きて帰れるかわからない、という思いが、伝説を生んだのかもしれません。 死者への追慕の念は純粋ですね。 盆になったら坊主が来るのでいくらか包まなきゃならん、ああ、面倒だ、というのが本音としか思えない現在の風習とはずいぶん違います。蜻蛉日記 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)角川書店角川グループパブリッ...
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