2010-10

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文学

比率

村上春樹の鼠三部作で、鼠は趣味で小説を書いています。 小説の流儀は、人が死なないことと、セックス描写がないこと。 それに比べて私は、文学作品はともかく、映像作品については、むやみに人が死んだりセックスしたりする映画やVシネマを好んで観ています。 なぜでしょうね。 家ではゴキブリが出ても殺害できず、逃げ回っているというのに。 そこで、殺人の話。 殺人事件について研究しているある学者が、精神病の専門雑誌に面白いことを書いていました。 どの国、どの文化にも共通しているのは、20歳代前半の男性が男性を殺害するケースが極端に多く、女性が女性を殺害する事件は極めて少ないそうです。 ところが、ここ20年ばかり、わが国においては20歳代前半の殺人犯が明らかに減ってきており、これは他の先進国にも、また発展途上国にも見られない現象だそうです。  20歳代前半の男といえば、動物でいうと巣立ちしてメスを求める頃合いでしょうか。 血気盛んで喧嘩っ早い世代だということは容易に想像できます。 洋の東西を問わず、この世代は暴力的になりやすいのですね。 テロの実行犯なんかもこの世代が多いようです。 不思議なのは、日本で...
映画

コントロール

昨夜、「コントロール」を観ました。  凶悪な死刑囚を、死刑執行を免除するかわりに、人間の凶暴性を抑えて良心を目覚めさせる新薬の被験者にさせるところから物語は始まります。 ウィリアム・デフォー演じる薬理学者と、レイ・リオッタ演じる死刑囚との心理サスペンスです。 映画はこの二人の役者によって風格を与えられ、チープな内容ですが、どこかA級の雰囲気が漂います。 テンポもよく、客を飽きさせない作品に仕上がっています。 最初はサイコ・サスペンスかと思ったのですが、途中から心理サスペンスっぽくなり、最後は泣かせます。  ウィリアム・デフォーといえばベトナム戦争を描いた名作「プラトーン」での、麻薬に溺れる、しかし有能な兵士の役があまりに強烈ですね。 「コントロール」ではマッド・サイエンティストなのかな、と思わせておきながら、結構いい奴でした。  レイ・リオッタはチンピラや犯罪者の役をやらせたら右に出る者がいない怪優で、実在のマフィアを描いた「グッドフェローズ」での主演が印象に残ります。バーのボーイを些細な理由で撃ち殺し、マフィア仲間と愚痴をこぼしながら大雨のなか死体を埋めに行くシーンは強烈でした。 「...
思想・学問

華夷闘諍

菅総理が廊下でばったり行き会って、偶然、温家宝首相と25分会談したことがニュースになっていますね。 出来すぎた偶然ですが、互いの面子を保つために接触するには、偶然を装うしかなかったということでしょうか。 近頃の中国の振る舞いは我がまま勝手で、中華思想というのは随分気ままなようです。  わが国において、かつては京を中心とする関西が、言わば日本の中華でした。 「太平記」において鎌倉の武家と京都の後醍醐天皇との争いを、華夷闘諍(華=朝廷・夷=鎌倉幕府)と表現しているのは、当時の感覚から言えば当然だったのでしょう。 鎌倉は夷、つまり野蛮な田舎だったわけです。 鎌倉幕府は京都にも匹敵する一大勢力を関東に築こうとするもので、朝廷は大いに危機感を抱いたことでしょう。 鎌倉幕府成立からわずか約30年後に、後鳥羽上皇は関西の武士を集めて幕府を倒そうと承久の乱を起こしましたが、わずか二カ月で敗れ、隠岐に流されてしまいます。 このことは、例え天皇だろうと上皇だろうと、強い者に刃向かえばただではすまないこと、もはや京都は日本の中華ではなくなったこと、を意味していると思います。 後鳥羽上皇の歌を時系列で並べてみ...
文学

保険証が更新されて、新たに臓器提供をするかどうかを記載する欄が設けられ、私は提供しない、と意思表示しました。 わが国では亡くなることを息を引き取るとも言い、文字どおり呼吸が停止して、通夜をやって告別式をやって、なお蘇らなければ火葬して、それでも四十九日を迎えるまでは、この世とあの世の中間である中有の闇を彷徨って、やっと死の儀礼を終え、死んだことになるのでした。 死ぬのではなく、死に行くものでした。 ある瞬間を境に生が突然死に替わるのではなく、少しずつ衰弱し、息が弱くなり、息を引き取るのです。 「いくら息をしようと思ってもできなくなってしまう。どうしたらいいでしょう。ほら、いくらしようと思っても・・・」 そういううちにも幾度も息がとまりかける、一所懸命力をいれて吸いこもうとするのだが。  「誰か教えてくださらないかしらん。どうしても息ができなくなってしまう」 しまいにはうかされたように、 「誰か息をこしらえてちょうだい」 といった。 これは、中勘助の「妹の死」にみられる、23歳で世を去った妹の死を見取る場面です。 凄絶な臨終の場面です。   息は、生き物のいきであり、生きるのいきであり、...
社会・政治

安楽死か殺害か

先般、北朝鮮は偉大なる将軍様の三男を大将に据えて、世襲三代目を明確にしましたね。 これはもはや金王朝というべきで、二十年前に滅んだ親分、ソ連でも、現在飛ぶ鳥落とす勢いの中国でもみられない、特異な権力構造です。 歴史を見ると、自由がなくても民衆は我慢できますが、飢えには我慢できないものです。  日本においても、飢餓が起きると米騒動、打ちこわし、逃散が行われ、義民、佐倉宗吾の将軍への直訴とそれによる処刑などは、歌舞伎でも演じられ、広く人気を集めています。 ところが一部報道では、北朝鮮では1990年代から、飯が食えずに餓死する者が後を絶たないとか。 なぜ民衆は蜂起しないのか、不思議です。 飢えて死ぬくらいなら、蜂起して官憲に殺されてもいい、と思うのが人情ではないでしょうか。 1989年12月、ゴルバチョフとパパ・ブッシュによって冷戦終結が宣言されてから、早いもので20年以上がたちます。 東西ドイツは統一され、東欧諸国も次々に民主化していきました。 その間、共産党の強権支配のもとで抑えつけられていた民族問題が再燃し、激しい戦争もおきました。 急速な改革に民衆がついていけず、民族紛争という分かり...
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