2011-03

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仕事

年度末

今日は3月31日、年度末ですねぇ。 年度末の仕事は昨日までに片づけ、今日は机を片付けたり、のんびり過ごしています。 職場復帰から11カ月。 気持ち悪いくらい順調です。 明日から少しだけ移動。 地下一階のこじんまりした事務室から一階の大部屋に移ります。 ちょっとだけ騒々しくなります。 むしろ今のところが静かすぎたのかもしれません。  経験したことがある部署なので、心配はしていません。 急がず騒がず、静かに、職務に精励したいと思います。 ただし前あったような上司からの暴言を受ければ、それはしっかりと反論しましょう。 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
文学

明治大帝の御製

世と共に かたりつたへよ 国のため いのちをすてし 人のいさをは 明治天皇の御製です。 国家国民のために命がけで尽くした人の名誉は後の世まで語り伝えたい、というほどの意かと思います。 今、まさに原発事故や遺体の収容、がれきの除去など、危険な任務に就いている人々こそ、語り伝えなければならないのでしょう。 逃げることばかり考えている私からみれば、頭がさがります。世の中の 人のつかさとなる人の 身の行ひよ ただしからなむ これも明治大帝の御製です。 人の上に立つ人は身の行いをただしくしなければならない、といった意味かと思います。 現在の危機にあって、民主党政権や東京電力幹部には、耳が痛いんじゃないでしょうか。やすくして なし得がたきは 世の中の ひとの人たる おこなひにして またもや明治陛下の御製です。 簡単なようで人間らしい行いをすることはむずかしい、と嘆いています。 しかし今回の震災で被災者が示した態度は、ひとの人たるおこなひと呼んでよいのではないでしょうか。明治天皇は和歌や読書が大好きだったとか。しかし公務が忙しく、なかなか古今の書物をひもとくことができなかったようです。 最後にそんな...
精神障害

逃げる

私は平成16年4月、うつ病を発症しました。 薬を飲みながらも、逃げてたまるか、と踏ん張っていたら、にっちもさっちもいかなくなって、翌17年8月から半年間病気休暇を取得しました。 仕事から逃げたわけです。 次に異動先の職場で上司から暴言を受け、うつ状態に陥り平成19年11月から平成20年9月まで逃げ、もう大丈夫だろうと思ったらその上司が合意した事項をサボタージュし続けたため、今度は怒り心頭に発して躁転し、精神科医から出勤を禁じられ、平成21年8月から平成22年4月まで上司との争いから逃げました。 今、7年ぶりくらいに安定した状態になり、逃げたことは結果的に良かったかな、と思っています。 三十六計逃げるに如かず、と言います。 逃げられるなら逃げるに越したことは無いでしょう。 しかし今、逃げるに逃げられない人々が東北・関東に大勢います。 物理的に逃げられないなら、心理的に逃げるしかありません。 被災者のみなさん、立ち向かわず、逃げてください。 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
映画

ゴシカ

「チョコレート」で大ブレイクしたハル・ベリーの熱演が光る心理サスペンス「ゴシカ」を観ました。 「チョコレート」は保守的なアメリカ南部で黒人女性と白人刑務官が恋に落ちる、切なくも社会的な問題作でした。 「ゴシカ」では謎と恐怖により狂気に陥ろうとする女性精神科医を演じています。 女子刑務所の精神科病棟で働く女性精神科医、ミランダ。 彼女は常に冷静沈着、理性的に患者の治療にあたっています。 ある晩、土砂降りの中を車で帰宅途中、ずぶ濡れ、傷だらけで道に突っ立っている少女を避けて車は大破。 気付くと自分の職場である女子刑務所、精神科病棟の個室に隔離されています。 事故後の記憶を失い、妄想や悪夢に悩まされ、暴れて手がつけられないので隔離した、という同僚の医師の説明に、我を失います。 それまで医師として診てきた精神病患者。 自分が精神障害者として扱われることに怒りを覚えながら、精神科医の行動原理を熟知しているだけに、どうにもなりません。 しかも上司でもある夫を殺害した容疑までかけられていると知り、まさに狂気そのものとしか思えない行動に出ます。 サイコ・サスペンスに心霊ホラーのスパイスを加味し、少々あ...
思想・学問

通訳

明治初期の英語通訳というと、なんとなく西洋かぶれしたイメージがありますね。 しかし、ある日本人の青年通訳は、英語を習得しながらもキリスト教をはじめとする西洋文化に馴染もうとせず、英国婦人を相手に「東洋思想に比べれば西洋思想など2,3日前に生まれた赤子のようなものだ」、と傲慢に言い放ちます。 その通訳は明治初期に東京を出発して北海道まで旅したイザベラ・バードの従者でした。 イザベラ・バードは従者の非礼を責めましたが、従者は「今後気を付けます。しかし私は牧師の礼儀作法を真似したにすぎません」と言って恥じなかったと言います。 下関事件の講和会議時の高杉晋作は、英国公使パークスの通訳、アーネスト・サトウから「魔王の如く傲然として見えた」と評されています。 負けた側なのに。 明治初期の日本人は傲慢なほどに堂々としていたんですねぇ。 江戸末期の侍の写真なんか、判で押したように険しい顔をしています。 一方、明治10年に両国花火大会に屋形船で繰り出した大森貝塚発見者のモースは、西洋だったら怒声が飛び交うような混雑のなか、「アリガトウ」と「ゴメンナサイ」しか聞こえず、みな笑顔だったことに驚き、日本人が西...
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