2011-12

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その他

神聖かまってちゃんの歌謡

神聖かまってちゃんのCDを購入し、朝、車のハードディスクに落としつつ、鑑賞しました。 CDのタイトルは「みんな死ね」です。大分病んでいますね。世界を呪い、おのれを呪っているようです。 正直頭が痛くなるような騒音の嵐でしたが、騒音のなかに、聞き逃せない真実の言葉が隠されているようです。 聞いていて暗欝たる気分になる、マイナス・パワーがさく裂しています。 神聖かまってちゃんのリーダー、の子は、女の子でも男の子でもない存在、すなわち、の子なのだそうです。 年甲斐もなくイカレタ中高生が熱狂しそうな自己憐憫をハードなロックにのせて歌う歌謡にはまりつつある私。 本来的な意味で、これを歌謡と呼べるのでしょうか。 民俗学者折口信夫によれば、「歌う」の語源は「うった(訴)ふ」であり、歌うという行為には相手に伝えるべき内容(歌詞)の存在を前提としているそうです。 それはそうでしょう。 歌謡にしろ文学にしろ、読む者や聴く者に何事かを伝え、訴えるのでなければ、それは単なる言葉遊びになってしまいます。 そういう意味では、神聖かまってちゃんの曲は、暑苦しいまでに、訴える力を持っています。 わが国伝統の歌謡とはかけ...
精神障害

不安

今朝起きたら、強い不安を感じました。 ここ2年ばかり感じたことのない不安です。 ちょうど、7年前に初めて精神病を発症したときのような。 金曜日なのにおかしいな、と考えてみると、昨夜リビングで眠ってしまい、夜中にベッドに移りましたが、夜の薬を飲み忘れていたようです。 治ったような気分でいましたが、一回薬を飲み忘れただけでこんなにおかしくなっちゃうとは驚きました。 今日は抗不安薬のワイパックスを倍飲んで、どうにか出勤しました。 これで今週は皆勤。 精神障害を抱えながら働くということ、なんだか綱渡りみたいですねぇ。 今週は皆勤できましたが、週5日間というのは、日曜日の夜見上げると、とてつもなく高い山に登るような気分がしますねぇ。 だから先のことはあんまり考えないで、今日一日だけ出勤し、定時まで働く、ということを繰り返すしかないのですよねぇ。にほんブログ村 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
社会・政治

カダフィの残党

リビアのカダフィ大佐、哀れな末路を迎えて、もう一か月以上が過ぎました。元気な頃のカダフィ大佐です。 リビアでは選挙によって、イスラム原理主義国家が生まれる可能性が高まっています。 そんな中、アルジェリアに亡命したカダフィ大佐の長女、アイシャ氏が、シリアの放送局を通じ、カダフィ大佐の残党に武装蜂起を促したそうです。 アイシャ氏です。 やりますねぇ。 そもそもアルジェリアがアイシャ氏の亡命を認めたのは、一切の政治活動を行わない、と約束したからであったはず。  時代の流れがわからないと言おうか、愚かと言おうか、浅知恵と言おうか。  なんだか切なくなってきます。 このたびの現政府への反乱の呼び掛け。 そんなことをしたら、アフリカの多くの国がそうであるように、何十年も続く泥沼の内戦になってしまいますよ。 ここは潔く負けを認めて、カダフィ大佐をはじめとする一連の内乱で命を落とした者たちの菩提を、敵味方関係なく、弔いながら静かに余生を過ごしたらどうでしょう。 それはあまりに日本人的な感覚でしょうかねぇ。にほんブログ村 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
文学

戦争の法

現在活躍中の小説家で、最も上質という言葉が似合うのは、佐藤亜紀だと思います。 最近は早稲田大学や明治大学の客員教授として創作の作法を教えているとか。 たいそうなご活躍です。 主にヨーロッパを舞台にした作品が多いですが、「戦争の法」は日本を舞台にしていて、しかもどこかブラック・ユーモアみたいなものが効いている異色の作品です。 平野啓一郎が「日蝕」をひっさげて颯爽とデヴューした時、佐藤亜紀は自身の作品「鏡の影」のパクリだと、小説家にとってはこれ以上ない侮辱を浴びせたことを懐かしく思い出します。 平野啓一郎は佐藤亜紀なる小説家の存在も知らないし、その作品を読んだこともないし、今後も読むことはない、と完全否定しました。 佐藤亜紀はこれに対し、盗作をしたかどうかはともかく、彼が嘘つきだということははっきりした、と言って応戦しました。 「鏡の影」も「日蝕」も新潮社から出版されていたところ、新潮社は「日蝕」の出版に合わせるように「鏡の影」を絶版にしてしまいました。 二人を比べて、平野啓一郎の将来性に賭けたということでしょうか。 しかし、現在の活躍を見る限り、新潮社の判断が正しかったとは言い難い状況で...
文学

師走

今日から師走ですね。 暦どおり、今日の関東地方は真冬の寒さ。 今シーズン一番の冷え込みだそうです。 私は今日、この冬初めてダウンのコートを着て、マフラーを巻いて出勤しました。 今年はウォーム・ビズということで暖房は控えめ。 先日ドンキ・ホーテで購入した膝かけが大活躍しています。 12月には春待月(はるまちづき)という洒落た別称もありますね。 でも実感としては、やっと冬に入ったところで、まだ春を待つという気分にはなりません。  私は30過ぎまで手足の先が氷のように冷たくなる冷え性でしたが、冬は嫌いではありませんでした。 凛とした冷たい空気が、しゃんとする感じがして好ましく思えたのです。 30代半ばくらいから、冷え性は肥満とともに良くなりましたが、逆に冬の寒さを辛く感じるようになりました。 不思議ですね。 冬菊の まとふはおのが ひかりのみ  水原秋桜子 名句ですねぇ。 冷たい冬の空気の中、確かな生命の輝きを感じさせる、力強い句です。 できることなら私も、冬菊のようにおのれの光のみを頼りに、後半生を生きたいものです。新装版 水原秋櫻子 自選自解句集水原 秋櫻子講談社水原秋桜子集 (朝日文庫...
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