2012-01

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社会・政治

命がけ

今年もお年寄りを中心に餅を喉に詰まらせて亡くなる事故が相次ぎました。 もはや餅による死亡事故は正月の風物詩の感さえあります。 1996年には1月だけで、じつに208人もの人が亡くなったというから驚きです。 私はあまり餅を好みません。 あんころ餅などの甘い餅が一番きらいで、雑煮も好みません。 比較的好きなのは磯辺ですが、これとて大好物というわけではありません。 出されれば食べると言う程度です。 作るのが面倒ということもあり、精神病発病以来、もう8年も餅を口にしていません。  だいたい命がけで食うような物ではありますまい。 冬山登山にしてもそうですね。 毎年遭難者がでて、ヘリコプターを飛ばして救助に向かいます。 人間は自分の力で自分の命を制御できないような事態には、近寄らないのが常識というものです。 だから私は登山をしませんし、餅も食べません。 水の事故が怖いので、海にも川にも近寄りません。 そういう風に生きてきて、何の不都合もありません。 君子危うきに近寄らず。 自分の身は自分で守るのが、社会人としての常識というものです。にほんブログ村↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
文学

山田風太郎生誕祭

今日は山田風太郎の誕生日だそうです。 生きていれば今年で90歳になっていたはず。 残念ながら、79歳で亡くなってしまいました。 有名な「戦中派不戦日記」には、終戦の前後、勇ましい言葉が並んでいます。 後に不戦日記と名付けた文章にすら、勇ましい言葉が並ぶあたり、戦時中に青春時代を過ごした若者の正直な心の発露が見てとれます。 私は「魔界転生」が好きで、とくに沢田研二が天草四郎を演じた最初の映画化を好んで観ました。 後の窪塚陽介主演のはちょっと期待外れでしたね。 沢田研二演じる天草四郎が魔界から甦り、宮本武蔵や細川ガラシャなど、この世に恨みを抱く者を次々と魔界からよみがえらせ、彼らの望みをかなえながら幕府転覆という天草四郎最大の望みを果たそうとする壮大なダーク・ファンタジーです。 天草四郎と細川ガラシャの妖しい美しさ、画面一杯に漂う妖気、この手のエンターテイメントとしては最高の出来です。 しかし山田風太郎がこれを書いた時、どんな思いだったのでしょうね。 単純に、鬼面人を驚かす大作を書いてやろうと思ったのではないだろうと推測します。 そこには、不遇の死を遂げた者の恨みの深さが流れているからです...
文学

道歌

和歌に道歌というジャンルがあります。 和歌というともののあはれや季節感、恋情などを詠う雅なものという印象がありますが、道歌は仏教の教えや道徳などを示す抹香くさいものです。 正直、私はあまり好みません。 しかし、正月、仕事始めの日くらい、そういう歌に接して心を引き締めることも必要かと思います。 怠らず 行かば 千里のはても見ん 牛の歩みの よし遅くとも  詠み人しらず 怠けずに進めば、牛のように遅い歩みでも千里までも進むことができる、という意かと思います。 日々の地道な努力を奨励する道歌ですが、いかにも無粋な歌ですねぇ。 では、こういう仕事始めの句はいかがでしょう?  天は晴れ 地は湿(うるお)ふや 鍬始(くわはじめ)   正岡子規 ここにはもののあはれは感じられませんが、たくましい農民の仕事始めの様子が大らかに、生き生きと活写されています。 説教くさい感じは微塵も感じられませんが、新年も努力しようという気分が自然に湧いてきます。 文芸に限らず、絵画でも音楽でもそうですが、主持ちの芸術はつまらないですねぇ。 道歌も仏教や道徳の普及のため、という主持ちの和歌です。 ためにする芸術のつまらな...
仕事

仕事始め

今日から仕事始め。 始業前の職場で記事を書いています。 まだ私の課には誰も来ていません。 正月気分を一掃し、職務に精励しなければなりません。 年が明けると3月まで早いのですよねぇ。 気が焦る時期ではありますが、どっしりと落ち着いて、仕事に当たりたいと思います。 復職して1年9ヶ月目。 精神病を発症してから後では、最も長く出勤を続けています。 今のところ精神状態は安定しており、このまま記録を伸ばし続けることができると確信しています。 皆さまも今日から仕事という方が多かろうと拝察します。 寒さ厳しい折、一層のご自愛、お祈り申し上げます。にほんブログ村 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
社会・政治

平田信容疑者、なぜ出頭?

オウム真理教徒で仮谷さん殺害の容疑により指名手配されていた平田信容疑者が元日に出頭してきたそうですね。 16年10ヶ月も逃げ延びて、なんで今頃、と不思議に思います。 新聞では、麻原死刑囚を初めとする13人の確定死刑囚の死刑執行停止を狙っているのではないか、と書いてありました。 つまり、共犯者が裁判中の場合、確定死刑囚の死刑執行は停止されることが多いからだというのです。 多分平田容疑者の裁判には何年もかかるでしょうから、少なくともその間は親愛なる尊師の命が永らえるというわけです。 しかし平田容疑者は、麻原尊師は死刑になって当然だとか、もうオウム真理教徒ではない、と言っているそうですね。 それならこの事件の生き証人として真実を暴露するために出頭したのかというと、曖昧な供述に終始し、そういうわけでもなさそうです。 他人の複雑な心の内を知ることは不可能ですが、それにしても不思議です。 麻原死刑囚、気が狂ったのか狂っているふりをしているのか、意味不明の言葉を並べ、オムツをつけて生活しているそうです。 どうせ死刑になるのだから、公判で堂々とおのれの正しさを主張し、教義に殉じて欲しかったと思います。...
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