2012-01

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思想・学問

1人カラオケ

昔「結婚できない男」というテレビドラマで、1人焼き肉や1人お好み焼きなど、一般的には大勢で食するような食事をあえてする男が話題になったことがありました。 高身長、イケメンの阿部寛がお金もあるのに一向にもてない変人を演じていて抜群に面白かったですねぇ。 近頃神田に、1人カラオケ専門店というのが営業を始めて、40代から50代の中年男性に人気を博しているそうです。 職場の宴会などで好きな曲を歌えば若い者には「知らなーい」などと言われ、無理に若目の曲を選んで豪沈したり、おじさんは苦労しているのですねぇ。 私は精神障害者となってから、一度もカラオケには行っていません。 1人カラオケなら、入るのも堂々と、歌うのも堂々と、精算も堂々と出来ると言う点が受けているんじゃないでしょうか。 でも私は行ってみたいとは思いませんね。 もう一生、職場の宴会でカラオケへ、という流れになっても、行かないと思いますから。 無駄なエネルギーを遣いたくないのですよねぇ。 病気をやって、できないことが増えたとは思いませんが、やりたくないこと、面倒くさいことは増えましたねぇ。 世の中で仕事と言われていること、仕事っぽいことは、...
文学

春へ

気温は冷えて、雪国では雪が猛威をふるっているというのに、陽ざしは狂的な凶暴さを秘めて、春の力が勃興してきているように感じられます。 立春は2月4日。 まだ一週間も先なのですねぇ。 春を待ち望む北国の方には申し訳ありませんが、私はもう少し、冷たく澄んだ冬が続いてほしいと思っています。 春は瘴気に満ちて荒々しく、変に気持ちが沈みますから。 雪ふれば 嶺の真榊(まさかき) うづもれて 月にみがける 天の香久山 「新古今和歌集」の藤原俊成の歌です。 見事な雪景色を詠んでいます。  でも私は、そのような見事な雪景色、見たことないんですよねぇ。 柄にもなく、バブルの頃スキーに出かけたりしましたが、スキー場の雪は言ってみれば土俵のようなもの。 雪景色を楽しむというのとは違っています。 東京にも毎年雪が降り、降った直後はきれいだなと思っても、すぐに茶色い汚い雪になってしまうのですよねぇ。 かといって、雪の北海道とか、雪の金沢や新潟にわざわざ雪景色を見に出かける気は起きませんねぇ。 おっくう過ぎます。 しかし時は残酷にすぎて、春愁の気が濃厚な季節が来るのですよねぇ。 キャデラックより 春愁の 令夫人 黛...
社会・政治

石原新党

新聞報道によれば、国民新党の亀井静香代表、たちあがれ日本の平沼赳夫代表、石原東京都知事が25日に会談し、3月に石原都知事を党首とする新党を立ち上げることで合意したとか。 この3人、鬼や妖怪にしか見えず、三者会談は会談というより怪談でしょうねぇ。 恐ろしや。 石原知事、そろそろ80歳に手が届こうかと言うお年。 近頃は判断力が鈍り、老害の感が漂います。 今でも石原都知事に絶大な人気があって、総理に相応しいと思っているとしたら、大きな認識違いですね。 20年前までは、総理に相応しい政治家で常に上位にランクしていましたが、近頃ではまったく耳にしません。  そろそろ引退して、潤沢な資産を背景に余生を楽しむ時だと思いますがねぇ。 まあ、最初はおじいちゃんたちが引っ張っていくんでしょうけど、10年くらいのうちに活きの良い青年政治家を育てて、若々しい政党に生まれ変わらないと、おじいちゃんたち、ばたばた倒れちゃいますよ。 政党名はずばり、老害党。 あるいは、よれよれ党。 まぁおふざけは止しにして、真正保守党あたりでしょうか。にほんブログ村 政治 ブログランキングへ の評価ボタンを押してランキングをチェッ...
社会・政治

変な事件が起こりましたねぇ。 犬が見知らぬ男に蹴られ、飼い主が怒って男を突き飛ばしたところ、男は頭を強打して死亡したそうです。 男71歳、飼い主64歳、いい年じゃありませんか。 それにしても、飛びかかってきたわけでもないのに、なんで犬を蹴っちゃったんでしょうね。 まずそれが不思議。 で、死ぬほど強く突き飛ばした飼い主、これも不思議。 不思議な人と不思議な人が、不幸な出会いをしちゃったということでしょうか。 お話に現れる犬というと、「フランダースの犬」とか「忠犬ハチ公」とか「南極物語」とか、割合人間によくなついて、人間に親和性を持ったものが多いような気がします。 これが狼になると、「赤ずきん」とか、急に怖ろしい怪物として描かれるのだから不思議なものです。 あ、そういえば、井上ひさしの「ドン松五郎の生活」という異色の物語もありました。 人間の言葉を理解し、ワープロで人間と会話する犬のドン松五郎が起こす大騒動です。 でも基本的に、犬は人間に従順ですね。 一方猫といえば、なんといっても「吾輩は猫である」でしょうねぇ。 勝手気まま、自分は人に飼われているなどとちっとも思わず、むしろ自分の家に勝手...
文学

文学と悪

昨夜、ジョルジュ・バタイユの「文学と悪」を読みました。 この作者にしてはわりあい分かりやすかったですね。 ブロンテ、ボードレール、ミシュレ、ブレイク、サド、プルースト、カフカ、ジュネの8人の作家を論じてエキサイティングです。 文学における悪とは何か、を追究します。 それは善を善として認めたうえで悪を志向しようとする嗜好、それは行動に対する文学の態度、神に対する悪魔の態度、大人に対する子供の態度としても捉えられる、とバタイユは論を進めます。 それには善悪を分ける倫理観が生まれていなければなりませんが、はるか古代、善悪が明瞭に分かれておらず、しかし本能的にこれは悪だというイメージだけがあった時、悪は強烈な魅力を放っていたと想像します。 「行動=神=大人」を断念することによって可能となる生き方・在り方、それが完全に正当化されることは、原理的には、生きているうちにはありえないことですが、正当化されえない生を自覚して生きること、これが文学における悪だと言うのです。 そうすると、大抵の文学者は子ども=悪で在り続けることになりますね。 これはかなりしんどいことです。 人間は自然に成長していくものです...
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