思想・学問 我思う
体調がすぐれないせいか、仕事をしていても雑念が浮かびます。 昼休みにいたって、それはますますひどくなるようです。 雑念が次から次へと浮かび、手がお留守になるようでは、サラリーマン失格ですねぇ。 そういえば昔、デカルトという哲学者が、ありとあらゆる物の存在を疑い、疑いたおした末に疑いを思念しているおのれの存在だけは疑いえない、として、有名な、我思うゆえに我在りという言葉を残しました。 そうすると雑念に悩まされる私は、まさに在る、ということなのでしょうか。 しかしビアスの「悪魔の辞典」によれば、デカルトは言葉足らずで、正確には、我思うと我思う、故に我ありと我思う、とすべきだと記しています。これはなかなか示唆に富んだ指摘ではないかと思います。何もかもを疑いながらおのれの存在だけは確からしいと感じるのは不思議です。浄土真宗などでは、南無阿弥陀仏と唱えれば極楽往生できると説きますが、南無阿弥陀仏と唱えている自分の口は、自分が唱えているのではなく、衆生を救いたいと願う阿弥陀仏が、衆生の口に唱えさせているのだと言います。 ここに至って、南無阿弥陀仏と唱える行為さえ自力ではなしえず、阿弥陀仏の力=他力...