2012-10

スポンサーリンク
社会・政治

大陸の自由

自由という言葉は、福沢諭吉がlibertyとfreedomをごっちゃにして明治時代に造った造語だと聞き及びます。 libertyとfreedomを強引に日本語で分けるならば、libertyは責任を伴う自由であり、freedomは我がまま勝手、みたいな意味になるのかと、ぼんやり思っています。 夕方、NHK-BSで、ロックバンドでの成功を夢見る中国人青年を取材した番組が放送されていました。 ちょっとぽっちゃりした丸顔がいかにも大陸の人らしく、微笑ましく見ていました。 取材していたのは元ザ・タイガースのドラム、瞳さん。 彼は1980年代初頭に北京に留学して以来の中国通だとか。 瞳さんと中国人青年ロッカーの交流を見ていて、人と人とが直接交流することの重要性を痛感しました。 尖閣諸島の問題などで国同士は対立していても、個人レベルが交流すれば、互いに分かり合えるものなのだ、と。 しかし、瞳さんが1980年代初めの留学時代の思い出を語り始めた途端、中国人ロッカーたちの雰囲気が一変しました。 それまで和やかに将来の夢などを語っていた中国人青年たちは、突如として、判で押したように、「過去のことは知りませ...
映画

ザ・スクリーミング

午後からは休日恒例のホラーDVD鑑賞です。 「ザ・スクリーミング」を観ました。 13金シリーズ以降米国で頻繁に製作されるようになった、馬鹿騒ぎしている高校生グループが惨劇に巻き込まれていくという、ティーン・エイジ・ホラーの一種です。 違うのは、殺された仲間の記憶を、サンディという主人公の少女以外失っていくこと。 つまり、サンディが何々ちゃんが殺された、と泣き叫んでも、他の仲間は何々って誰?気でも狂った?という反応なのです。 しかも、死体は残りません。 なぜなんでしょう? 原因は6年前にさかのぼります。 サンディは修道院に住むアンジェラという少女と親友でした。 しかし、サンディにとってアンジェラは大勢いる友達の一人に過ぎないのにたいして、アンジェラにとってサンディはたった一人の親友だったのです。 ある時サンディが6人の友達を連れて遊んでいると、アンジェラはそれをなじります。 それを面白くないと思った6人は相計り、サンディを巻き込んでアンジェラに悪戯を仕掛けます。 それに驚いたアンジェラは発作を起こして倒れてしまうのです。 サンディたちが良く遊んだのは墓場。 それも鬼をゴーストに見立てたか...
その他

今日はこの前の日曜出勤の振替でお休み。 のんびり過ごしています。 この後11時頃に風呂の修理業者が来る予定で、それが終るまでは身動きできない状態です。 ここ数日、風呂に入れず、難儀しています。 幸いにしてシャワーは使えますが、やはり一日の労働の疲れを癒すには風呂が必要だと痛感しています。 風呂上りの一杯と、シャワーを浴びての一杯では、酒の旨さも半減するというものです。 電話で話した限りでは、部品を一つ交換すれば済むようです。 自動湯張り、便利な機能だと思っていましたが、昔風に浴槽に水をため、しかる後ガスで湯を沸かすほうが壊れないような気がします。 一つ自動湯張りに限ったことではありませんね。 高度な機械ほど壊れやすく、修理が難しいような気がしてなりません。 今宵は熱い風呂につかりたいものですねぇ。にほんブログ村 人気ブログランキングへ
思想・学問

霜降(そうこう)

今日は暦の上では霜降(そうこう)ですね。 露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也、と暦便覧にあります。 霜降れば 霜を楯とす 法(のり)の城   高浜虚子 法の城とは、仏法のこと。 固く守るということで、城に喩えられるそうです。 句意は、霜のようなはかないものでも、自らを恃みとして仏法を守るものだという、かなり抹香くさい句です。 原始仏教では、法を恃み、己を恃みとして犀の角のようにただ一人歩め、とお釈迦様は説いています。 漢語では自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)なんて言いますね。 おのれと仏法だけを頼りにして、一人、修行せよということですが、これがなかなか難しい。 人間はきわめて社会的な生き物で、坊主の世界にも組織があり、序列があります。 そんな中、ただ一人歩めというのは、厳しい言葉だと思います。 日本仏教では禅宗がわりとこの言葉に忠実かと思いますが、一方、自力での修行を諦め、ひたすら阿弥陀仏の衆生を救いたいという本願にすがり、他力=阿弥陀仏の力で救われようとする浄土教が庶民の広い支持を得、現在わが国の寺院では浄土真宗が最も多くの信徒を誇っています。 私は若い頃禅門の厳しい姿...
精神障害

今日のメンタルヘルス

研修の一環で、放送大学の今日のメンタルヘルスという科目を履修しています。 じつは10年ほど前、放送大学で単位認定試験や通信指導の事務を担当していたことがあり、放送大学のずさんさは知りつくしています。 通信指導をやると一度に30万通もの答案が送られてきて、50名ほどのアルバイトを雇ってさばきました。 しんどかったですが、若かったせいか、メンタルをやられることは無かったですねぇ。 年配の学生が多く、クレーマーもずいぶんいました。 入学試験が無く、高校を卒業していればだれでも正規生として入学でき、卒業すれば学士様というわけで、若い頃なんらかの事情で進学できなかったけれど、勉強したい、というおじちゃん、おばあちゃんが多く、だからこそ放送大学に過剰の期待を寄せ、入学して見たらこんなはずじゃなかった、ということになったんでしょうね。 一方で、辛口の評論家、佐高信は著書であらゆる特殊法人を検証し、数ある特殊法人のなかで放送大学だけが存在意義を認められる、とべた褒めしていました。 放送大学の実状を知らないんでしょうねぇ。 よく理事長が、世界に例を見ない、世界唯一の放送による正規の大学だ、なんて大見えを...
スポンサーリンク