2013-03-24

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散歩・旅行

花見というほど大げさなものではありませんが、午後、少しだけ桜がある近所の公園を散策しました。 どんよりと曇って寒々しく、人もまばらでしたが、桜はまさに今が見ごろ。 見事に咲き誇っていました。 私は毎年満開の頃、ワンカップやビールを買い込んで花見を楽しんでいますが、今日はなんだかそんな気になれません。 例年だと4月の上旬、新年度を迎えて多少の高揚感をもって花見を楽しんでいたところ、今年は年度末に重なり、いつもそうなのですが、年度末というのは精神が不安定になり、花の下で酒を飲もうという気持ちになりません。 今年の早すぎる桜の開花が恨めしく思えます。 桜といのは不思議なもので、わが国では桜は死の観念と結びついているせいか、桜を観るたび、来年もまた桜を観られるだろうか、もしかしたら不慮の事故にでも会い、これが今生最後の桜になるかもしれない、という不吉な思いに駆られます。 とくにうつ状態が激しく、希死念慮に悩まされていた時はそうでした。 桜を観たから、そろそろいいだろう、と考えてしまうのです。 それでもやっぱり死ぬのが怖くて、生きながらえてしまいました。 でも精神障害に対する差別や偏見は今も根強...
文学

憂悶

今年はばかに春の訪れが早いようで、もう桜が満開です。 私はといえば、相も変らぬ俗事にかまけ、せっかくの週末、花見に出かけることもままなりません。 来週末、花が散り乱れているであろう頃に、花見に出かけようかと愚考しています。 せめてはかねて愛吟しながらあまりこのブログで取り上げなかった詩歌でも紹介しましょうか。 あはれなり わが身のはてや あさ緑 つひには野べの霞と思へば 新古今和歌集にみられる小野小町の歌です。 野べの霞とは、一般的に火葬の際の煙がたなびく様と解されています。 絶世の美女と呼ばれた小野小町も年老いて、春愁とともに世の無常を詠みこんだものと思われます。 次はいっそ思い切り美的な西行法師の春の和歌を。 春風の 花を散らすと見る夢は さめても胸の 騒ぐなりけり 桜が散るさまの美しさを、これほどの烈しさでもって詠んだ歌も少ないでしょうねぇ。 父は西行法師に憧れていたようですが、私はその歌の烈しさと、美を追求する執念みたいなものが、なんとなく怖ろしく、単純に西行法師に憧れるような気持ちにはなれません。 歌がうま過ぎるのと烈しすぎるので、おそらく平安末期の歌詠みからは嫌われていたん...
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