2013-10-12

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仕事

過労死防止のために

近年、過労死だとかブラック企業だとかパワハラだとか、労働に関する問題を現す言葉が次々に生み出されていますね。 言葉が生まれるということは、問題が新たに発生したのか、あるいは元々あった問題が顕在化したのか、そもそも問題ではなかったことがことさら問題視されるようになったのか、どれなんでしょうねぇ。 これらの言葉はそれぞれ別のようでいて、深い因果関係を持っているように思います。 ブラック企業に勤めてパワハラ被害を受けて過労死した、みたいに。 わが国には労働基準法をはじめとして、様々な労働関係の法律がありますが、それでは足りないと、一部の弁護士が過労死防止基本法なるものを制定するよう政治に働きかけているそうです。 労働基準法その他の法律で勤務時間などの定めがありますが、いわゆる36協定を労働組合もしくは過半数代表者と雇用主が結べば、18歳未満や妊婦の労働者、炭鉱労働者といった一部の労働者を除き、ほとんどいくらでも残業を命じることが出来てしまいます。 また、国家公務員にはそもそも労働関係の法律の適用が制限されており、ために人事院という内閣から独立した組織が公務員の労働条件や賃金の在り方を日々見直...
文学

日本教信者

昨夜、韓国で生まれ育ちながら日本教信者を自認し、日本に帰化した呉善花先生の「私はいかにして日本信徒となったか」を読みました。私は、いかにして「日本信徒」となったか (WAC BUNKO)呉善花ワック 韓国の田舎で生まれ、都会に憧れてソウルの高校に入学し、ヨーロッパに憧れて当時西ドイツが多くの韓国人看護師を受け入れていると聞いて看護学校に進むも、西ドイツが政策を転換するや退学し、なぜか職業軍人になります。 軍は4年ほどで辞め、今度は米国留学を夢見ますが、当時韓国人が米国のビザを取るのは至難の業であったため、とりあえず日本に留学し、それを足掛かりにして米国留学を目指そうと決意します。 この時、もう27歳。 しかも強い反日教育を受けた最初の世代とあって、日本といえば悪魔の国と答えるほど、ガチガチの反日意識を持ったまま、米国留学のための方便だと自分に言い訳しつつ、東京にやってきます。 1980年代初頭のことです。 当時すでに日本は経済成長をとげ、やがて来るバブルの予感に浮かれていたわけですが、韓国はまだ貧しく、初めての東京生活は驚きの連続だったそうです。 風呂トイレが付いた1DKのアパートを借...
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