2013-12

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社会・政治

安倍総理、靖国神社参拝

安倍総理、政権1周年記念か、今日、靖国神社に参拝したそうですね。 小泉総理以来、7年以上総理大臣が靖国神社に参拝しなかったのは異常事態とも言え、正常化の一環でしょうねぇ。 中国・韓国の反発が予想されますが、それは明らかな内政干渉。 いや、内政干渉どころか、個人の思想・信条の自由を犯す行為であり、許されません。 大体わが国を敵視して国内での求心力を高めようと言う思惑がある以上、わが国がどういう態度を取ったところで、関係改善は望むべくもないでしょう。 政治家による靖国神社参拝が問題視されるようになったのは、真に不幸なことです。 官製神社で、敗戦までは官営であったという生まれ育ちの悪さは隠しようがありませんが、今なお、遺骨どころか遺髪さえ帰ってこなかった家族を偲ぶ場所はここしかない、という遺族がたくさんいます。 もちろん戦友も。 今さら無宗教の追悼施設を造ったって、そんな嘘くさいものに誰がお参りするでしょうか。 他の多くの神社に比べてはるかに短いとはいえ、わが国には近代化の過程で避けて通れない侵略の歴史があり、侵略とは言っても当時は侵略しなければ侵略され、植民地になるしかなかったわけで、わが...
社会・政治

急いては事を

今日で第2次安倍政権が発足してからちょうど1年たつんですねぇ。 小泉政権の後を受けて誕生した第1次安倍政権、少々前のめりというか逆上気味で、仕事を急いだのは良いとして、健康を害したうえに選挙に負けて、1年ほどで退陣に追い込まれてしまいました。 その後、福田・麻生・鳩山・菅・野田と政権が代わりましたが、いずれも1年かそこらしか持ちませんでした。 安倍総理、最初の失敗を活かしているようで、今のところ退陣の気配はありません。 しかし一寸先は闇。 それは政治の世界に限ったことではありません。 9.11テロで亡くなった人々は、まさか勤務中の高層ビルに旅客機が突っ込んでくるなど想像もできず、何事が起きたか分からないままに旅立って逝ったことでしょう。 ことほど左様に、人間には近い未来も遠い未来も予見することができません。 そう考えると、今生きていて、何事かを行っている単純な日々の積み重ねが、奇跡のように感じられます。 40代半ばに近付き、よくぞここまで生きてきちゃったものだと、感慨を深くします。 アベノミクスだとか憲法改正だとか、安倍政権は志が高いようにお見受けします。 しかし高邁な理想も、日々の地...
文学

十になる子の酒の燗

今宵もまた、懲りもせずウィスキーのロックを傾けています。 こんなに毎夜酒を喰らっては体に毒だと思いながら、気が付くとグラスに琥珀色の液体を注いでいます。 できれば週に2日くらい空けたいのですがねぇ。 酒くさき 鼓うちけり けふの雪 やっぱり酒といえば冬。 勢い、酒と雪を同時に詠んだ句は座りがよろしいようで。 芭蕉の弟子、其角の句です。 ロシアなど寒い国では、酒の消費量も多いようですね。 逆に暑い風土のインド人はあまり飲まないとか。 また北極圏とかになっちゃうと酒を造ることがそもそもできないんだそうで、寒さをしのぐ最良の術が無いとは気の毒です。 酒と風土は切っても切り離せませんね。 アラブ人はかつては酒を飲んでいたようですが、イスラム教の普及により、飲まなくなったとか。 するとちょうどその端境期にあった呑んべえは、さぞかし苦しんだでしょうねぇ。 アル中一歩手前の私に、これから日本国民は全員イスラム教に改宗するから、今後一切酒を飲むなと言われたら、地獄の苦しみでしょうから。 初雪や 十になる子の 酒の燗 これも其角の句。 2人の娘に恵まれ、たいそう子煩悩だったと伝えられる俳人らしい、微笑ま...
その他

鳴かざれば

男子フィギアスケートの織田信成選手、次のオリンピック代表を逃して引退を表明。 鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス と、泣きたい心境を句にしてみせました。 もちろん、ご先祖様である織田信長の、 鳴かざれば 殺してしまえ ほととぎす を意識してのことでしょう。 豊臣秀吉の、 鳴かざれば 鳴かせてみよう ほととぎす 徳川家康の、 鳴かざれば 鳴くまで待とう ほととぎす と並ぶ、三者の特徴を端的に表した句で、何もご本人が作ったものではありますまい。 ご先祖及びその部下らの性格を表す句をもじって、涙をみせることが多かった自身の性格を自己卑下して見せるなど、なかなか心憎い演出ですねぇ。 引退といってもまだ20代半ば。 サラリーマンならまだ下っ端の青二才と言われる年齢です。 これがスポーツの怖ろしいところで、少女アイドルなんかもそうですが、若くして第一線から退き、第2の人生といおうか、本当の人生といおうか、新たな道を歩まなければならないのは、なかなかしんどいことと推察します。 現役の時は引退後どうするかなんてなかなか考えられないでしょうし。 指導者の道を歩むか、解説者としてやっていくというのが一...
文学

ピグミーの恋

45年以上も前、昭和42年に三島由紀夫はエッセイで、近頃はピグミーの恋が跋扈している、と嘆いています。 その意味するところは、障害を乗り越える強さも持たず、忍ぶ恋の焦燥や高潔をも知らず、むやみとくっついたり離れたりしてばかりいる、やれやれ、といったところかと想像します。 人は易きに流れがちですからねぇ。 また、かつて色恋沙汰は破廉恥とされ、親が決めた相手と結婚するのが普通だったため、親の意向に逆らって恋を貫こうとすれば、必ず障害を乗り越えなければならず、また恋は忍ぶものだったことでしょう。 高度経済成長真っ盛りの昭和40年代前半、にわかに恋愛を謳歌する若者が溢れかえり、それは当時の中年からみれば、破廉恥にも見え、安易にも見えたのでしょう。 でもそれは、中年文学者の美意識には抵触するにせよ、多くの若い男女にとって、楽しいことだったに相違ありません。 ピグミーの恋が薄っぺらく見えたとしても、本人たちは本気だったでしょうし、二人の恋が美的であるかどうかなんて、創作者では無い者にとって、どうでも良いことです。 今はさらに進んだかといえばそうでもなく、草食系だの絶食系だのが溢れかえり、ピグミーの...
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