2014-07

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文学

病みつつ我は

5月12日に飲み仲間であった三つ年上の悪友が47歳の若さで果かなくなってしまったことは、その日のうちにこのブログで報告したところです。 近しい人が亡くなるということは誠にしんどいことですが、ただしんどいだけではなく、おのれの死を考えるきっかけになります。 「哲学は死の練習である」とソクラテスは言い、「死がなければ哲学もなかったであろう」とショーペンハウアーは言ったそうですね。 ことほどさように人間にとって死というのは重要で興味深い問題です。 いつでしたか、テレビで西部邁も「死と宗教」の問題だけが人間にとって唯一の関心事だ、といった意味のことを言っていましたね。 私が最も死に近づいていたの平成16年から17年にかけて、うつ状態が激しい頃で、最も深く人の死について考えたのは2年3カ月前の父の死から数ヶ月の間でした。 いずれもかなり直接的な理由があったためで、人間、切羽詰まらないと、おのれの死というがごとき重要なことも忘れてしまうようです。父の齢(よはひ)に 至らざれども 良寛の 示寂に近し 病みつつ我は   宮柊二の歌です。 父親の寿命よりは若いけれど、良寛の死期に近づき、死を意識したとい...
その他

儚い

昨日、私の職場にAKB48のメンバー数名が取材に訪れました。 残念ながら私には、彼女たちの名前も顔も分からないので、誰が来たのかはわかりません。 しかし、対応にあたった職場のお偉いさんは鼻の下を伸ばしていました。 愚かなことです。 少女アイドルという職業ほど、儚いものもありますまい。 次から次へと新しい美少女が現れて、自身はどんどん年を取っていき、アイドルとして生きていくことが困難になっていくのですから。 なかには成熟した大人の女優や歌手へと成長する者もいますが、多くはいつの間にやら芸能界から消えていきますね。 青春の思い出と割り切って普通に暮らせれば良いのでしょうけれど、一度スポットライトを浴びた者はもうひと花咲かせたいと思うのも人情でしょう。 私のように堂々たる凡人として生きるのも、悪くないかもしれませんねぇ。にほんブログ村 人気ブログランキングへ
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