2014-12

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その他

事もなし

冬至に向かって日に日にお日様は遠く短くなります。 そんな今頃は、死を予感させる季節だと言えるでしょう。 古来人間は、死というものの意味を考え抜き、死があるから宗教や哲学が生まれたと言っても過言ではありません。 人間にとって最終的に、そして唯一重要なのは、死をどう捉えるかということになるのでしょう。 わが国では死後、穢れた黄泉の国へ行くとされ、仏教受容以降、にわかに西方浄土へ行くことを願う阿弥陀信仰が盛んになりました。 キリスト教徒やイスラム教徒は最後の審判の後、天国へ行くことを願います。 いずれも艱難辛苦に満ちた現世を生きる人々の切ない願いが生みだしたもので、それ自体は嘘であろうと真であろうと、大した意味は持ちません。 それを信じることによって現世での苦しみがわずかでも軽減され、幸福感が増すという効用があるという事実が重要なのでしょう。 しかし現代の日本人は、ほぼ信仰を持っていない状態になっています。 信仰がほとんど無い状態で、わが国びとが高い倫理感を維持してきたのは奇跡的なことで、宗教に代わる武士道や儒教などの道徳が庶民に至るまで染みついていたためと思われ、それは今も変わらないと私は...
文学

冥途の寒さ

今朝は馬鹿に冷えました。 冬を迎えたことを実感させられます。 そういえば通勤の車を運転していても、いつもより車が多いように感じました。 忙しい季節なのでしょうねぇ。 私はと言えば、なんだか気をもむことは多かれど、それほど忙しいとは感じていません。  最近はまっている久保田万太郎の冬の句をいくつか。 粥喰うて 冥途の寒さ 思ひけり 粥を食うことなどほとんどありませんが、冥途の寒さを思うはんて、不気味な迫力があります。 そこはかとなく漂う厭世的な感じがよろしいようで。 飲みくちの かはりし酒よ 冬籠 冬に自宅で籠っていれば、酒の味が変わるのも当然でしょう。 これをかはりし、として、うましとしないところにこの人の真骨頂があるのでしょうね。 炭つぐや 雪になる日の ものおもひ これから雪が降ろうという日に暖房の炭を入れているのでしょうね。 今はエアコンのボタンを押すだけですから、気楽なものです。 もっとも私の実家はお寺で、古い建物だったせいか、冬は底冷えがし、エアコンはもっぱら冷房用で、暖房には石油ストーブを使っていました。 チュルチュルポンプで灯油を入れるのがひどく億劫だったことを思い出しま...
社会・政治

99歳

畏れ多くもかしこくも、三笠宮殿下にあらせられましては、99歳の白寿を迎えられたそうです。 大正4年生まれ。 不幸にしてご子息の親王殿下お三方はすでに亡く、三笠宮家は一代で断絶となる見込みです。 こうやって皇室の周りを囲む宮家が次々と断絶の憂き目にあっては、皇統の継続も危ういというものです。 百歳を迎えた皇族が過去に存在せられたか、私は寡聞にして存じませんが、もし三笠宮殿下が百歳を迎えられたなら、それはたいそうおめでたく、高齢化社会のわが国を象徴するものと言えましょう。 私が99歳まで生きるとすると、あと54年もあり、到底想像出来ませんが、もしかしたら平均寿命が延びて、百歳なんて珍しくもなんともなくなるかもしれませんね。 そうしたらサラリーマンの定年は何歳まで延長されるのでしょう? そしてまた、年金支給開始年齢は? そういうことをつらつら考えてみると、あんまり長生きするのも考えものだと思います。 お金の心配もなく、身の回りのことを一人でこなせて、という状況なら長く生きたいと思いますが、そううまくいかないのが人の世の常。 老骨に鞭打って生活のために働くのは嫌ですし、そもそも体や頭がまともに...
文学

熱燗や

12月に入ったというのに、今日は暖かい雨が降り続いています。 異常気象というのではないのでしょうが、なんだか調子が狂います。 まぁ、寒いよりはよほどマシですが。 近頃晩は熱燗で暖を取っていますが、今日は冷でもいいようです。 熱燗や とかくに胸の わだかまり 久保田万太郎の句です。久保田万太郎の俳句成瀬 桜桃子ふらんす堂俳句の天才―久保田万太郎小島 政二郎彌生書房 胸にわだかまりを持ちながら熱燗を頂くといえば、それは私の日常とも言うべきですが、そのわだかまりがいかほどのものかは、日によってずいぶん異なります。 幸いにして、このところの私は精神も安定し、さほど強いわだかまりをもって熱燗に助けを求めることもなくなりました。 精神安定のために飲む酒は、その時は一時的にまぎれても、翌朝かえって落ちているということはよくあります。 それに比べて単に一日の仕事の疲れを癒す燗酒は、すぐに体中を駆け巡り、じきにねむくなってしまいます。 わずかの酒で酔えるのは、健康な精神を維持せしめている証拠かもしれませんねぇ。 緊張に満ちた精神状態では、いくら飲んでも頭の芯が冴えているような感じで、酔えませんから。 い...
思想・学問

人間(じんかん)何年?

今日から師走ですね。 平成26年(2014年)も残すところ、ちょうど一カ月となりました。 早いもので、とは言いますまい。 一つ一つを思い起こしてみれば、とてつもなく長い年月で、そもそも一年前、私は別の部署に座っていたことを思えば、隔世の感があります。 よく世間の人は、特に中高年は、年月の流れを、あっという間と表現しますね。 私にはその心性が理解できません。 私には、年月の流れは、常に牛歩の歩みのように思われ、もどかしくさえ感じます。 私は今40代半ばを迎えましたが、かつて人間(じんかん)五十年という言葉があり、人の世にいられる期間は五十年くらいと考えられてきました。 そうであるなら、40代半ばは老人ということになりましょうか。 しかし栄養状態が良くなり、医学の進歩もあり、人間(じんかん)は80年にもなろうとしています。 下手をするとそれは90年にも100年にもなる可能性があり、私はまだ半分も生きていないのかもしれません。 実感としては、結構長く生きたような気がするのですがねぇ。 行きつけの薬局では人生ゲームのようなポスターが貼ってあり、それによると60歳が総合的な判断力が最も優れている...
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