2015-02

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文学

妖かし

春は来ぬ。 空気凛冽なれども、春の気配濃厚たり。 我、この気配に接し、心躍ることなし。 ただ、春の気配を怖れるのみ。 そは、春の魔にして、人をして狂わせ、憂愁に沈めるのみ。 春は狂気を孕み、我、その瘴気にあてられざる能わず。 古人、多く春を怖れるあり。   春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる かくのごとき和歌、生まれざるを得ざる所以のものは、ひとえに春を怖れたるなり。 わけても春の宵闇に隠れいたるは何者か。 化け物か、妖気孕む者か。 我、定かならずといえど、そを感じること甚だし。 妖気に接し、我、不思議の心地して、我が身が変貌すを感得したり。 何者に変貌したるか。 そを表す言葉を知らず。 ただ妖かしの者に近づきたるを覚えるのみ。 我、もはや人たることに耐えざるや。 いっそこの世ならぬ者に変じ、春の瘴気を生み出す元となりたるか。 我が変貌したる姿、ザムザのごとき醜い虫に非ず。 毒を隠し持つ、しかれども天女のごとき美しき魔物に他ならず。 ザムザのごとく野垂れ死にの憂き目にあうこともなし。 春来たりなば宵闇に紛れ、瘴気を吐かむと欲す。 瘴気は毒に変じ、春の宵を包みこむ...
文学

悪を描く

坂東三津五郎が59歳の若さで帰らぬ人となってしまいました。 たしか中村勘三郎もそのくらいの年齢で亡くなったと記憶しています。 当代の人気役者だけに残念ですねぇ。 私は一時期歌舞伎に凝り、わけても尾上菊五郎が贔屓でした。 顔よし、声よし、姿よし、と謳われていましたが、わりと小柄でしたね。 しかし江戸っ子の典型的なスタイルは小柄でやせ形ですから、それもまた売りだったのだろうと思います。 菊五郎の「弁天小僧」は私が最も好む演目で、お嬢様に化けて呉服屋に入り、イチャモンをつけて金をゆすり取ろうとしたところ、男とばれて、急に大きな伸びをし、着物を脱いで見得を切る場面は歌舞伎屈指の見せ場でしょう。 歌舞伎の本質は人間だれもが持つ悪を描くことにあろうかと思います。 善人だったやつがちょっとしたきっかけで悪に落ちたり、あるいは信頼しあった義兄弟を裏切ったり。悪への招待状―幕末・黙阿弥歌舞伎の愉しみ (集英社新書)小林 恭二集英社 それを流麗で耳心地の良い江戸弁でやるのだからたまりません。 坂東三津五郎は端正な芸風で知られ、私はもう少し崩れているほうがお好みですが、現代劇をも器用にこなす、役者以外の仕事...
仕事

若者

2月も最後の週を迎えました。 よく言われることですが、2月は3日短いだけなのに、やけに早く過ぎるように感じます。 そして今日は馬鹿陽気。 最高気温は17度にまで達するとか。 これからは時折こんな暖かい日が訪れて、少しづつそんな日が増えて本格的な春を迎えるのでしょう。 職場では、全員が人事部長になったかのように、4月の人事異動についてああでもないこうでもないと語り始めます。 滑稽なことです。 そういえば、土曜日に一杯やった女友達の後輩が、私の職場に就職するんだそうで、世間は狭いと感じました。 なんでも仕事を頑張りつつ、毎日定時で帰って運動するのだと張り切っているそうで、職場から徒歩圏内にアパートを借りるそうです。 若い人は夢があって良いですねぇ。 でも、17時ちかくから打ち合わせが始まったり、15時過ぎにメールで調書が届き、今夜中に回答しろとか、残業は不可抗力ということがけっこうあります。 私はそういうやむを得ざる場合以外は定時で帰っていますが、私の部署では、私以外全員、部署の長が帰るまでなんとなく待っています。 そういう雰囲気になってしまいました。 ひと昔前までは普通のことでしたが、今...
その他

寂寥

昨夜は女友達2人と人形町で懐石料理に舌鼓をうち、さらには近くのバーへと繰り出しました。  話題が尽きることはなく、様々に語り合いました。 それは楽しいに違いありませんが、一抹の寂しさを感じざるを得ませんでした。 私たちが共同で挑んだ激務からは遠くはなれ、今、別々の機関で働いているという事実が、いかに仲良く過ごした時間を共有したとはいえ、時の流れとともに人は別れていくのだという、絶対的孤独のようなものを感じさせたものと思います。 もちろん、私たちは今も友人ですし、時折会って話をすることもできますが、それは過去の亡霊に拠るしかないわけです。 親しい人と会うということには、必ずそういった寂しさが付きまとうのだろうと思います。 それは友人であれ、親族であれ。 毎日顔を合わせている家族とはあまりそういった感覚を持ちませんが、しかし考えてみれば、家族との毎日の付き合いに中にこそ、もっとも大きく、激烈な寂寥感が漂うのかもしれません。 2人とは、再会を約して帰りました。 また会えることは間違いないでしょう。 楽しい時間を過ごした後、一夜あけてこんな風に時の流れの無常を嘆かなければならないとは、私も業欲...
文学

遊園地

色川武大の短編に、「少女たち」という佳品があります。 「離婚」という短編集で読むことができます。離婚色川 武大文藝春秋 この小説では、訳ありの少女たちと共同生活を送る男が描かれますが、共同生活は終りを告げることになります。 それを惜しむ少女たちに、男は一言、「もう遊園地は終り」と宣言します。 少女たちとの幻想的とも言える現実離れした生活とその終りを描いて、少女たちの成長の物語とも、男の孤独を表す物語とも読める、切なくも美しい作品でした。 今夜、私は日本橋人形町の懐石の店で、15年来の付き合いになる女友達2人と一杯やる予定になっています。 一応、遅い新年会ということで。 今思えば、15年前、私が激務を強いられる職場で耐えられたのは、この2人を始めとして、多くの気の合う同僚に恵まれたからだろうと思っています。 激務の合間に飲みに行ったりカラオケに行ったり。 私は行きませんでしたが、スキーなんかにもグループで行っていたようです。 地獄の中の小さな遊園地のようでした。 1人は都内に1LDKのマンションを購入して一人暮らし。 もう1人は長いこと内縁関係にある男と暮らし、未だに籍を入れようとしませ...
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