思想・学問 死生
人間と動物を分ける所以のものは、ひとえに人は自分及び身近な人、はてはあらゆる生き物がいずれ死ぬ存在だとしっていること、それゆえに葬儀を営むことになると言えるのではないでしょうか。 古く、葬儀はネアンデルタール人にまでさかのぼるとか。 その一事をもって、ネアンデルタール人こそは、人類の始まりと言えるでしょう。 自分や家族、友人が必ず死ぬということを、私たちは知識と知っています。 しかし、核家族化が進むと、実際に人の死に目にあうということがかなり珍しい経験になりました。 かつて2世代、3世代が同居していた頃、今よりも寿命は短く、死は実感としてはるかに身近であったことでしょう。 さらには、かつて死に関することは最も重要な思索のテーマでしたが、現代社会は死を忌避しているか、あるいは無視しているように感じます。 いつまでも元気で生きることを何より重要だと感じてはいないでしょうか。 誰でしたか、西洋の哲学者が、現存在としての人間は死を経験しておらず、死んでしまえば現存在ではなくなるので、実態として死を感得することはあり得ず、死は存在し得ない、みたいなことを言っている人がいました。 それは屁理屈だろ...