2016-07

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その他

何を願うの?

七夕。 私は何を願えば良いのでしょう? 私が何を願っているのか、自分でも分からなくなりました。 中学生の頃は、志望校合格を願っていました。 しかし、それはかないませんでした。 大学生の頃は、多少お勤めするにしても、数年のうちに華麗なる小説家デビューを果たそうと目論んでいました。 でも、それはかないませんでした。 社会人になって10数年を経てからは、不安や憂鬱がつのり、とにかく精神状態が平穏であることを願いました。 それなのに私は精神障害を発症してしまいました。 独りで生きていきたいと思っていたのに、出会い頭の事故のように結婚してしまい、今も独りを味わうことは困難です。 私が叶えたことは、精神障害の克服ですが、しかしそれは病的な状態の克服に過ぎず、それがもたらした果実は、当たり前ですが、普通の人に戻っただけでした。 しかし精神障害真っ最中の頃は、これさえ克服すればバラ色の未来が待っていると誤解していました。 それほどしんどかったのです。 今の私の願いは何なのか、本当に分かりません。 強いて言えば、今より気楽な部署に異動して、定年まで気楽なままに生きていたいと言うことでしょうか。 そういう...
文学

暑苦し

あつ苦し 昼寐の夢に 蝉の声 夏目漱石の句です。 今日の首都圏はどうやら猛暑日になる見込み。 事務室のなかは冷房が効いて快適ですが、いったん廊下にでれば、湿気を含んだ暑苦しい空気が澱んでいます。 いよいよ過酷な季節が始まったようです。 蝉ももうじき喧しく鳴き出すでしょう。 夏は苦手です。
思想・学問

死生

人間と動物を分ける所以のものは、ひとえに人は自分及び身近な人、はてはあらゆる生き物がいずれ死ぬ存在だとしっていること、それゆえに葬儀を営むことになると言えるのではないでしょうか。 古く、葬儀はネアンデルタール人にまでさかのぼるとか。 その一事をもって、ネアンデルタール人こそは、人類の始まりと言えるでしょう。 自分や家族、友人が必ず死ぬということを、私たちは知識と知っています。 しかし、核家族化が進むと、実際に人の死に目にあうということがかなり珍しい経験になりました。 かつて2世代、3世代が同居していた頃、今よりも寿命は短く、死は実感としてはるかに身近であったことでしょう。 さらには、かつて死に関することは最も重要な思索のテーマでしたが、現代社会は死を忌避しているか、あるいは無視しているように感じます。 いつまでも元気で生きることを何より重要だと感じてはいないでしょうか。 誰でしたか、西洋の哲学者が、現存在としての人間は死を経験しておらず、死んでしまえば現存在ではなくなるので、実態として死を感得することはあり得ず、死は存在し得ない、みたいなことを言っている人がいました。 それは屁理屈だろ...
仕事

憂鬱な朝

なんだか今朝はひどく憂鬱でした。 よっぽど休もうかと思いましたが、やすんだところで落ち込みはひどくなるだろうと思い、少々無理して出勤しました。 無理して出勤した場合、やっぱりダメで早退してしまうパターンと、仕事をしているうちに調子が良くなるパターンに大別できます。 今日はは後者だったようです。 午前中の仕事を終えて、まずまず調子が良くなりました。
その他

食う

なんだか急に暑くなりました。 ビールが旨い季節です。 もっとも、寒けりゃ寒いで今度は熱燗が旨くなるのですから、酒のみなんて一年中暑いだの寒いだの、目出度いだの厄落としだのと理由をこじつけては飲んでいるものです。 よくイタリア人は、食う、歌う、愛すの三つを人生の喜びとしているとかいう単純な話を耳にします。 まぁ、象徴的な言葉なのでしょうが、複雑な歴史を背負ったイタリア人がそんなに単純なわけはあるまいと、天邪鬼な私は邪推してしまいます。 それはさておき。 この中の食うには、当然飲むも入っているはずで、旨い物を食い、旨い酒に酔うのは人生最高の喜びであることは、日伊共通のようですね。 歌うはどうでしょうかねぇ。 世の中音痴も多いし、鼻歌くらいは歌うかもしれませんが、イタリア人だって歌うのが好きな人ばかりとは思えません。 愛すというのはおそらく性愛のことでしょうね。 親子愛とか、ましてや人類愛などではありますまい。 まぁ、誰にでも性欲はあるし、異性愛者にしろ同性愛者にしろ、大方の、特に若い男は大好物でしょうねぇ。 私も20代半ばまではそうでした。 28歳で結婚してから急速に衰えましたが。  年を...
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