2017-02

スポンサーリンク
その他

説明会

今日はひどい風でしたねぇ。 今日は午後から都内某大学の講堂で、科学研究費助成事業に関する説明会がありました。 午前中だけ出勤するのも億劫なので、午前中は半日の休暇を取りました。 説明会、退屈でうとうとしてしまいました。 私の担当業務なんですがねぇ。 17時近くに終わって、18時には帰宅できました。 朝は10時近くまで寝ていたので、今日は体が楽です。 節酒生活を始めて4週間目。 月曜日は4週連続で休肝日。 食事をしてしまえば飲む気が失せるので、帰宅するなり近所の蕎麦屋で鴨南そばの夕食を摂ってしまいました。 あれほど毎日毎日飲んでいたのが、ここのところ、週の半分は休肝日です。 何事も慣れですねぇ。 心配なのは、酒を飲む気がなくなるようにするため、しっかり夕食を摂るようになって、太ってしまうのではないかということ。 飲むとつまむだけで炭水化物は摂らないので、太ること必定のような気がします。 でも、少々太っても、今は酒を空けることを優先事項にしなければなりますまい。
文学

顔のない裸体たち

今日は晴れていましたが、北風が強かったため、終日自宅にこもり、小説を読んで過ごしました。 読んだのは、平野啓一郎の「顔のない裸体たち」です。顔のない裸体たち (新潮文庫)平野 啓一郎新潮社 小説には、一人称、三人称の文体が多く、二人称もごくまれにあります。 三人称の場合、作者が全体を俯瞰する、神の目線で描かれることが多いですが、この作品は、一種のフェイク・ドキュメンタリーの形を取っており、ジャーナリストが語る、ということになっていたため、神の目線は取られていません。 それが小説に真実味を与えているかは、ちょっと判断しかねるところです。 小学校から高校までイジメにあっていた市役所職員の片原と、中学教師で平凡な思春期を送った希美子が出会い系サイトで出会い、激しい性交を重ね、ついには野外露出、さらに動画をインターネットの動画サイトに投稿するなど、性的逸脱とも言うべき行為に走り、ある小学校でこっそり野外露出の動画を撮影中に教師らにみつかり、片原は持っていたジャックナイフで教師らを刺し、怪我を負わせるまでの経過が、淡々とつづられます。 これはおそらく、性を描いた文学ではなく、世間が認知する自分と...
その他

左目

私は15年ほど前疲れ目がひどくて眼科を受診し、その際、思いがけず緑内障の初期症状であると診断され、以来、眼圧を下げる目薬を打ち続けています。 半年に一度視野検査を受け、幸いにも症状はあまり進行していませんでした。 今日、視野検査を受け、結果、左目の視野の一部が欠損していることが分かり、目薬が1種類から2種類に増えました。 右目は全く問題ないため、日常生活では気づきませんでしたが確かに、右目をつぶって左目だけで見ようとすると、目の真ん中あたりに黒い筋があって、よく見えないことに気づきました。 緑内障は視野が戻ることはなく、症状を遅らせることしか、治療方法はないはずです。 症状は少しづつ進行するため、多くの人はかなり視野が欠けるまで気づかないそうです。 そういう意味では、疲れ目程度で眼科を受診した私は幸いだったと言えましょう。 昨年は頚椎椎間板ヘルニアで右腕のしびれと首から肩にかけての痛みに悩まされ、半年ほどリハビリに通って、ほぼ治癒しました。 肝臓の数値が悪化し、医師から節酒を命じられ、基本的に週末しか飲まないようにしました。 あれほど毎日飲んでいたのだから当然と言えるでしょう。 程度の...
社会・政治

被爆2世

広島の被爆者を父母に持つ「被爆2世」の男女22人が17日、「放射線被害の遺伝の危険性があるのに被爆者援護法の対象外にされているのは不当」として、国に1人10万円の慰謝料を求め、広島地裁に提訴したそうです。 被爆2世による訴訟は初めてだとか。 長崎で被爆した親を持つ被爆2世25人も20日、同様の訴訟を長崎地裁に起こす予定だそうです。 うーん、複雑な心境ですねぇ。 私自身、母親が長崎で被爆した被爆2世なので。 今のところ、被爆2世への遺伝的な影響は証明されていないそうですし、がんになりやすいという話は聞いたことがありますが、がん患者はわが国にあまたおり、被爆2世であることとの因果関係を証明するのは事実上不可能なのではないかという気がします。 ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤というのは、明らかに遺伝的影響があるそうですが、原爆の場合、差別を受けた精神的打撃とかいうのなら分かりますが、健康上のリスクが高いという話は寡聞にして知りません。 誤解を恐れずに言えば、原爆被害者は戦争犠牲者のなかで特別扱いを受けているような気がします。 被爆から何十年経っても、被爆者健康手帳というのが交付されて、様々...
思想・学問

自分だけの真理、あるいは超人

長い一日。 長い一週間。 切ないばかりに短い週末。 これらを積み重ねて、人々は生きています。 生きるということの意味を問う暇もなく。 それは絶望に至る道なのでしょうか。 美的な存在・倫理的な存在・宗教的な存在。 キリスト教を深く信仰した哲学者キルケゴールは、人間の在り様をざっくり上の三つに分類しました。 私は西洋哲学には疎く、正確な理解ではないと思いますが、一時期、西洋哲学の書物を読み漁ったことがあり、その時のおぼろな記憶では、そんなようなことだったと思います。 多くの凡人は、美的な生き方に甘んじているものと思われます。 美的というと何やら高尚な感じがしますが、要は酒を飲んだりパチンコに興じたりする、平凡な生き方と考えれば分かりやすいでしょう。 かくいう私もそうです。 そこから一歩進んで、倫理的な存在があります。おのれの良心に従って、あれかこれかを選択する、意識の高い生き方です。 しかしキルケゴールは、美的な存在も、倫理的な存在も、やがて絶望=死に至る病の淵に立たされるだろうと予言しています。死に至る病 (岩波文庫)斎藤 信治岩波書店 美的存在は虚無や不安などに襲われ、倫理的存在は自己...
スポンサーリンク