文学 隠れキリシタン
先日、テレビで爆笑問題が隠れキリシタンの末裔を追った番組を見ました。 明治維新後、キリスト教禁教が解かれてから、隠れキリシタンは普通に教会に通うキリスト教徒になったのだと思っていましたが、驚いたことに、今もなお、昔ながらの信仰を保ち続けている人々が存在するそうです。 さすがに隠れる必要はありませんが、隠れキリシタンが信仰したというマリア像、観音様です。 また、墓石の上には小石がいくつも置いてあり、拝むときにその小石を十字の形に並べ替え、拝んだ後、またバラバラにすることで、キリシタンの墓だということが分からないようにしたそうです。 隠れキリシタンであることが発覚すれば、命を落としかねない状態で、よくも信仰を捨てなかったものだと思います。 それらの行為から感じられるのは、隠れキリシタンたちの切ないばかりの願望。 苦しい生活が続く今生を、信仰を貫いて生きとおしたなら、天国に行き、永遠の平安を得られるという、普通の仏教徒が聞いたら詐欺かと思われるような教義を、ひたすらに信じることで、この世の苦しみに耐えようとしたのですねぇ。 よほど毎日が辛かったのでしょう。 仏教にも浄土信仰というのがあり、キ...