
墓参り、あるいは黙して語らず
昨日は父の命日でした。 もう亡くなって8年になります。 で、昨日は午後から休暇を取って、江戸川区に在る実家であり、日蓮宗の寺でもある、あの懐かしい場所へと向かいました。 横風が強烈で、車の運転には気を使いましたが、無事到着。 母と兄は留守で、義理の姉と実の妹、それにもう35年もお手伝いとして勤務している家政婦さんが歓待してくれました。 墓前で手を合わせていると、自然と、倅は相も変わらず精神障害に苦しんでいます、という言葉が脳裏にうかびました。 しかし、墓はただ冷たい石であるに過ぎず、父は黙して語らず。 懐かしい家に戻って、仏壇で手を合わせましたが、写真の父は坊主の正装で、厳しい顔をするばかりでした。 当然ではありますが。 しかし私は、わずかばかり、幻聴でもいいから父の言葉が聞こえるのではないか、という期待をしていました。 その期待が叶えられことは、あり得ないことなのでしょうね。 墓参りの後、しばし歓談。 故郷のなまりが強烈に耳に飛び込んできて、心地よく感じました。 千葉と江戸川区は、川一本隔てただけのお隣ですが、文化や言葉はずいぶん違います。 帰宅して、なぜだか酒が飲みたくなり、平日...