2020-06

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社会・政治

コロナ後

コロナ騒ぎ、一応、収束に向かっているようですね。 私の職場では、一時期、完全在宅勤務になりました。 それが半々の出勤になり、今は週に一度、交代で在宅勤務ということになっています。 それも今月いっぱいで終わり、7月からは少なくとも出勤だけは通常に戻ります。 しかし、対面の会議は無期禁止で、オンラインかメール審議だけが認められています。 コロナの一件、今後の社会の在り方に大きな影響を及ぼすかもしれませんね。 職場にしても学校にしても。 それがどういう方向に進むのかはまだ分かりませんが。 世の中というもの、何も変わらないようでいて、変わる時はびっくるするくらいの速さで変化していきます。 私がそれを実感したのは、ベルリンの壁崩壊から始まり、ソビエト連邦そのものが無くなってしまうのを目の当たりにしたときです。 あの時も、共産主義を信じる多くの赤い国の民たちは途方に暮れたことでしょう。 あの時は政治的でダイナミックな変化でしたが、コロナが残すものは、じわじわと、人々の生活を変えていくように思います。 コロナ以降の社会についていけるようにしなくてはなりませんね。
仕事

AI、恐るべし

コロナウィルスは私たちの生活を確実に変化させました。 会議は対面が無くなり、オンラインもしくはメール審議。 そう遠くない将来、「昔は会議ってみんなで集まってやってたんだって」「えー信じられない」「それに月曜日から金曜日まで毎日会社で働いて、家では働かなかったんだって」「嘘だぁ」なんて会話が交わされるかもしれません。さらにはAIの導入で、雇用が大幅にカットされ、失業者があふれるかもしれません。  現在、情報革命の真っ只中。おそらく産業革命以上の変化をもたらすでしょうね。  先のことは分かりませんが、ある程度の予想はできます。 鉄腕アトムのようなロボットが生まれるとは考えにくいですが、家事をこなすロボットや、災害時等、自衛隊も消防も出来ない救助活動を行うロボットは作れるのではないでしょうか。 そして恐ろしいのは、AIの人間に対する反乱。 古くは「2001年宇宙の旅」のハルコンピューター。 さらに「ターミネーター」シリーズに「マトリックス」シリーズ。2001年宇宙の旅 キア・デュリアワーナー・ホーム・ビデオターミネーター ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社マトリックス (字幕版)キアヌ・...
精神障害

寛解

昨日は4週間に1度の精神科への通院日でした。 診察と言っても、最近は調子も良く、雑談をして帰りました。雑談だけでも、15分は話を聞いてくれる精神科医は、稀有な存在と言えるかもしれません。 私はかつて、自分に合う精神科医を求めて、4件のクリニックで診察を受けました。 説教めいたことを言う医者、30秒ほど話を聞いて、患者が求めるままに大量の薬を処方する医者、病気を治すためには仕事を辞めた方が良い、といきなり爆弾を投げつけてくる医者、いろいろいました。 今のクリニックは完全予約制でじっくり話を聞いてくれます。 そのうえで、作戦会議のように薬の処方を決めていくのです。 今の先生に出会えて、本当に良かったと思います。 今は寛解の状態と言ってよいでしょう。 あとは再発防止に努めるばかりです。
文学

よろづを投げ捨てて

我が身、五十余年を過ごし、夢のごとし、幻のごとし。 既に半ばは過ぎにたり。 今はよろづを投げ捨てて、往生極楽を望まむと思ふ。 今様を集めた「梁塵秘抄」に見られるものです。 今様とは、今流行っている歌という意味で、平安時代末期の流行歌と言うべきものです。 流行歌だけあって、恋の歌なども多くみられますが、極楽往生を望む歌が多いように感じます。梁塵秘抄 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)後白河院KADOKAWA 冒頭の今様は、もっと長いのですが、後略としました。 遊びや愛欲の世界に生きて五十を過ぎた男が発心し、極楽往生を望む今様です。 私もまた、8月で51歳になります。 発心を起こさぬどころか、まだまだ遊び足りない気分ですが、平安時代には50歳と言えば、老人の部類だったのでしょうね。 人生の終わりを予感すれば、極楽往生を遂げたいと思うのは人情と言うべきで、まして仏教が人々にとって身近な存在であった平安時代には、当然のことだったのでしょう。 現代では仏教と言えば葬式くらいしか思い浮かびません。 私は寺で生まれ育ちましたが、仏教について詳しくはありません。 それでも、死が...
文学

憂き人

私が双極性障害(昔で言う躁うつ病)に罹患していることは、何度もこのブログで告白してきました。 とは言っても、激しい躁状態は、一度しか経験がありません。 とにかく気持ちが高ぶって、じっとしていられない状態で、最初は病識がありませんでした。 うつ病が治ったくらいにしか。 しかし、主治医によるとそれは立派な病気で、治療をしないと大借金を負うほどギャンブルをやるか、風俗遊びに狂うか、大酒をくらうか、あるいはその全部をやるかして身の破滅を招くと言うのです。 いわゆる飲む・打つ・買うの三道楽というやつですね。 それで、恐怖に打ち震えた私は、素直に主治医が処方した躁を抑える薬を飲み始めました。 以降、躁状態は出現していません。 考えてみれば、うつにしろ躁にしろ、元々は高貴な感情ではなかったでしょうか。 うつは憂愁、メランコリー、などに通じる状態で、人間にのみ与えられたもの。 ものを考えたり感じたりするとき、人はメランコリーに沈みます。 だからこそ、哲学者はいつも難しい顔をしているのでしょう。 憂愁というもの、過ぎなければどこか気持ちの良いものです。 一方、躁状態にあるとき、人は立派な仕事を成し遂げた...
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