2021-09

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精神障害

怠惰

近頃、あんなに好きだったホラー映画を観なくなりました。 小説を読まなくなりました。 小説を書かなくなりました。 散歩をしなくなりました。 風呂が大好きだったのに、平日は億劫で、シャワーで済ませるようになりました。 平日は朝飯を抜くことが多くなりました。 休日は寝てばかりいるようになりました。 仕事が億劫で、部下に丸投げするようになりました。 自分でやらなければならないことは、先延ばしするようになりました。 自分以外のサラリーマン全員が、私よりはるかに優秀だと思うようになりました。 仕事に誇りが持てなくなりました。 辞めたいという思いが非常に強くなりました。 朝、起きるのが辛くなりました。 昼休み、寝てばかり。 夕方、目がかすんで車の運転が困難になりました。 晩、酒が過ぎるようになりました。 深夜、咳き込んで目が覚め、眠れなくなりました。 早朝、咳を抑えるため、咳止めを乱用するようになりました。 肉体の衰えか、精神の怠惰か?  私はかつて、傲慢で限りなく高い誇りを抱いていました。 私の傲慢と誇りは、少しづつ、壊れていくようです。
その他

墓参

お彼岸にはちょっと早いですが、墓参りに行きました。 同居人の実家の墓です。 私の実家へは、父の命日しか行きません。 3月5日。 10年ちかく経っても、悲しい日です。  で、重要なイベントには参加しません。 お盆も、お彼岸も、お施餓鬼も、お会式も。 そういうイベントの時は、寺は多くの参拝客でにぎわい、静かに墓参りができないからです。 同居人は信心深いのか、慣習を重んじるのか、よく分かりませんが、イベントごとに墓参りに行きます。 私も付いて行って一緒に手を合わせるのですが、自分の実家に行かず、ここでお参りしていて良いのかな、と疑問に思いますが、都道府県をまたぐ移動はしてはいけないからと、自分に言い聞かせます。 もっとも、コロナ騒ぎが起きる前からそうなのですが。 コロナのせいで、今年の父の命日には墓参に行きませんでした。 不孝な倅です。 今日の墓参り、道が混むと嫌なので、朝8時には出発し、8時20分に霊園に到着しました。 道は混んでいませんでしたが、霊園に着いてみると、結構多くの車が駐車していました。 墓には、一昨年、81歳で亡くなった義父と、30数年前、わずか18歳で難病のため亡くなった同...
その他

散財

今日は見事な秋晴れでした。 晴れたからというわけはありませんが、買いたい物があって、そごう千葉店に出かけました。 ブルックス・ブラザースで秋冬物のスーツを2着購入しました。 以前購入したスーツがくたびれてきましたので。 2着で24万円の大散財。 以前、大手紳士服店(青山だかコナカだか忘れました)で4万円以下のスーツを買ったことがありましたが、着心地が悪くて着なくなってしまいました。 それ以来、体に合うということで、スーツはブルックス・ブラザースと決めています。 少々高いですが、安いのを買って着なくなってしまったのでは、安物買いの銭失い。 少々高いものを買って、長く着られるほうが、結局はお得ですから。 スーツはブルックス・ブラザース、カジュアルはスコッチ・ハウスで購入することが多いです。 洋服ももう少し安いと良いのですが。 その後そごう千葉店で定番の、椿屋茶房でビーフ・カレー、サラダ、スープ、珈琲のセットを食しました。 なかなかの美味。 腹が満たされたので、ロフトやら無印良品やらを冷やかし、デパ地下のなだ万でお惣菜のセットを購入しました。 今夜のつまみです。 散財すると少々気持ちが萎えま...
その他

土曜日の昼食

台風の土曜日。 しかし、さしたる雨も降っておらず、風もふいていません。 なんだか拍子抜けです。 今朝は5時に起きました。 平日は6時に起きるのが辛いのですが、休みの日は寝ていられない感じで、早起きしてしまいます。 平日も5時にぱっちりと目覚められれば楽なのですが、なかなかそうもいきません。 今日は恒例の朝風呂をつかい、朝飯をたっぷりと食って丹念に新聞を読みました。 ここまではいつもの土曜日。 大きく異なるのが、行きつけのイタリア料理店が廃業してしまったため、向かいにある中華屋に出かけたことです。 ここはちょっと値段が高めで、味はそこそこ良いのですが、量が多くて、そのためによほど腹が減っていないと行かないお店です。 大連小麦粉料理をうたっているいる店で、日本人には馴染みが薄い、チュンビンという、餃子の皮のでっかいようなのが蒸した状態で5枚出てきて、そこに味噌やら葱やら鶏肉やらをお好みで巻いて食すのです。 しかし私は、ここの麻婆豆腐定食が好みです。 かなり辛い味付けで、時折無性に食いたくなります。 ただし、麻婆豆腐も白飯も量が多く、完食できた試しがありません。 今日も残すつもりで注文し、案...
思想・学問

意識を機械に移植する? 

私はかつて、「人工とびお」という記事で、私の思考パターンや興味関心、性格等を人工知能に覚えさせ、それに折々の社会情勢や事件を自動的に入力することで、人工とびおが出来上がり、私の死後もこのブログを更新させ続けたい、と書きました。    下の記事です。      ↓     人工とびお - ブログ うつと酒と小説な日々 (goo.ne.jp) 私としては思考の遊びのつもりだったのですが、同じようなことを考える人はいるもので、すでに研究は進み、東大の脳神経科学者によると、20年以内に実用化できるんだそうです。 昨日の新聞を読んで、本当かいなと思いました。 びっくり仰天。 新聞によると、 脳は一千億個を超える神経細胞が電気信号をやり取りして情報処理を行う一種の電気回路だ。ということは、脳を十分に模した回路を作れば、そこに意識がやどらないはずはない、 と言うのです。これにより、人の意識を機械に移植することが可能だ、とも。 これが本当なら、意識のうえだけでは、一種の不老不死ということになります。 機械に移植された意識が、本当に自分の意識と言えるかは疑問ですが。 この技術は、人の死生観や倫理観に大き...
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