2021-11

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文学

小人閑居して

今日は文化の日でお休み。 週なかに休みがあるとずいぶん楽です。 水曜日をお休みにして週休3日になれば良いのに。 しかしながら、小人閑居して不善を為すの言葉どおり、閑があると碌なことはしません。 一日中寝ていたり、昼酒を飲んだり、良からぬ所に出かけたり。 小人とは君子の逆。 賤しい人物のことで、ひらたく言えばとびおみたいなやつ。 私は14時を過ぎようとする今に至るも、寝巻のままで陽当たりの良いリビングでごろごろしています。 飯を食うのさえ億劫で、朝飯も昼飯も食っていません。 怠惰の極みです。 同居人は義母の家に行っており、一人だからこそ許される怠惰の贅沢。 義母、さる病気にて、調子すこぶる悪いようです。 82歳と高齢ですから、ちょっとしたことが命取りになりかねません。 心配ですが、私が義母宅を訪れると、ひどく疲労するらしく、なるべく行かないようにしています。 病身ながら、私が行くと気張って歓待してくれちゃったりするので。 昔、太宰治の小説に、「饗応婦人」という珍妙な作品がありました。 戦地から帰ってこない夫の戦友だかなんだかを、献身的に饗応してしまう婦人の姿を描いたものと記憶していますが...
社会・政治

絶望

もう30年以上昔の話です。 某国に、にわかに大きな勢力となった新興宗教が存在しました。 その教祖は、人類滅亡の日は近いと説き、しかもその日は何年何月何日と、明確に予言したのです。 その日はわずか数年後に迫っていました。 信者たちは恐れおののき、しかしその宗教を信じている者だけは救われて、永遠の安寧を得られると確信したのです。 多くの一般の人々はそんな彼らを、嘲笑いました。 そしてその日が来ました。 何も起こるはずがありません。 人々は飯を食って糞を垂れ、学校や会社に行きました。  それでも、信者たちは、その瞬間が起こるのを心待ちにしました。 何事もなく、その日は終わりました。 信者たちは深い絶望を味わったことでしょう。 しかし本当に深い絶望を覚えたのは、彼らを嘲笑った一般の人々であったに違いありません。  かく言う私もその一人。 私が大学生の頃の話です。 新興宗教は瓦解し、教祖は行方知れずになりました。 信者たちはどうしているのでしょう? もう30年以上昔の話です。
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