2022-01

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文学

天魔と食う雑煮

正月に雑煮を食わなくなってどれくらい経つでしょう。 おそらく10年どころではありません。 同居人は雑煮が嫌いで、元旦の朝はもっぱら私が作っていました。 きちんと昆布と鰹から出汁を取り、鶏肉などを入れて醤油で味付けした、本格の雑煮です。 私はその出来に満足し、雑煮を旨く感じていました。 しかし同居人は、申し訳程度に餅を一つだけ食い、汁を啜ると早々に食事を終えるのでした。 これでは面白かろうはずもありません。 じつは私も、餅はそんなに好まないので、正月の雑煮を止めてしまいました。 毎年餅を喉に詰まらせて死ぬ愚か者がいます。 命がけで食うような代物ではあるまいと、自分に言い訳をして。 で、元旦から普通に白飯を食うようになりました。 そうなってみると、なぜあれほど力を入れて雑煮を作っていたのかと、自分が滑稽に感じられるようになりました。 雑煮食う 天魔のごとき 男らと 猫鮫先生(小説家、小林恭二の雅号)の俳句です。猿蓑倶楽部―激闘!ひとり句会小林 恭二朝日新聞社 様々な解釈が可能で、うら若い乙女が荒くれ男どもと雑煮を食う様子、と解く者もいれば、帰省した倅たちが雑煮をがっついて食っている、と解い...
精神障害

迷妄の森

今日は休暇を取りました。 役所に障害者自立支援の手帳更新に行くためです。 この手帳が交付されると、精神科の診察代と薬の処方費が1割負担になるのです。 通常、3割負担ですから、長く通うと馬鹿になりません。  私はうつが酷かった頃、希死念慮に悩まされていました。 平たく言えば、死にたくて仕方ないのです。 うつ病は自殺率が極めて高い病気ですから、私もまた、死と生の堺を、塀の上を歩くようにして彷徨っていたわけです。 この塀の、生の側に落ちたから、今こうしてブログを更新できているのです。 死の側に落ちれば私は安楽にあの世でまどろんでいたでしょう。 生の側に落ちるのと、死の側に足を踏み外すことと、どちらが楽なんでしょうね。 生きている私は、いっそ死の側に落ちれば良かったのに、と思うことがあります。 生きるということはしんどいですから。  「男はつらいよ」で、満男に、「人間何のために生きているんだろう」と問われた寅さんが、「あぁ、生きてて良かったと思うことがたまにあるだろう、そのために生きているんじゃないのか」と応える場面があり、鮮明に覚えています。  生きてて良かったと思うことは、今の私にはありま...
文学

新成人の皆様へ

今日は成人の日なのですね。 コロナのために式典を中止する自治体もあったとか。 新成人の皆様にはお気の毒です。 由来は、かつて元服の儀を行う日だったからだそうです。 もっとも、昔の元服は数えで15歳と言いますから、今でいえば中学生。 ほんの子供だったのですね。 数年前まで、大人になったことを祝うはずの式典で、自ら子供であると主張するような、蛮行が流行っていました。 首長の挨拶を妨害したり、大酒をくらって安い着物姿で町を練り歩いたり。 それは新成人のほんの一部でしょうが、目立つので、みんながみんなそうであるような錯覚を覚えました。 特に沖縄は酷くて、中学時代の仲間が同じ着物を着て、別の着物を着た=べつの中学の同級生といざこざを起こしたり。 しかしもう子供だとは認められないお馬鹿さんたちは逮捕されて実名で報道されたりして、やっと成人たるの自覚を持ったことでしょう。 あれは高知県だったでしょうか。 逮捕された倅たちを、未熟な者が行ったことゆえ、許してほしい、と親が何組も市庁舎に嘆願に行き、当然ながら拒否される、というニュースを見て、溜飲が下がったことを思い出します。 それが大人になるということ...
精神障害

衰え

昨日は出勤しました。 週明け火曜日、午前に一本、午後に一本、私が担当の会議があり、その資料作りが間に合わなかったので。 それでも今週はマシです。 今日、明日とお休みですから。 疲れていたのか、午前11時まで寝てしまいました。 その後軽い朝昼兼用の飯を食って、内科に行きました。 コレステロールを下げる薬をもらうためです。 この内科、日曜日も午前だけ診察を行っています。 ありがたいかぎりです。 近頃、言葉がうまく発せられなくなってきました。 若いころは弁舌さわやかで、私とは絶対に差しで話をしない上司がいました。 変に説得力があって、言いくるめられてしまうからだそうです。 久米宏が、かつてニュース・ステーションを降板する際、「思うように言葉が出てこなくなった」と言っていたのを思い出します。  相手を説得する能力に長けていた私が、まさか言葉に詰まるようになるとは思っていませんでした。 これも加齢による衰えでしょうか。 加齢による衰えをカバーするのは経験だと思います。 30年も働いていれば、嫌でも知恵がついてきます。 しかし私は、その経験すら生かせずにいます。 昔は好きだった車の運転が怖くなりま...
文学

一昨日は首都圏にひどい雪が降りました。 朝は曇っていたので、車で行こうかとも思いましたが、午後からみぞれの予報で、ノーマルタイヤを履いている私は、念のため電車で通勤しました。 これが大当たり。 首都圏としては大雪と言ってよい、積雪10センチを観測しました。 これではノーマルタイヤでは走れません。 路面凍結のため、昨日も電車通勤となりました。 寒さから、疲労がひどく、帰るなり倒れるように眠ってしまいました。 子供の頃は雪が降るとワクワクしたものですが、 大人になると寒いばかりか、通勤に支障をきたすので、雪は大嫌いです。 わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後 天武天皇の短歌です。 自分が住む都に大雪が降ったよ、君が住む大原の古びた里に降るのはもっと後だろう。 というほどの意味かと思います。 自分の里に綺麗な大雪が降ったことを自慢した、子供っぽい短歌ですが、どこか微笑ましいですね。 天皇の歌ですから、雪かきの必要もないし、出勤もしなくて良い、高貴な人の心境を歌っており、下々の者にはあり得ないものと思います。 それは現代人も同じこと。 出勤を必要とするサラリーマンには羨まし...
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