散歩・旅行

スポンサーリンク
散歩・旅行

有志歓迎会から名古屋へ

今日はこれから有志による少人数の歓迎会です。 新しい所属部署の公的な歓迎会はとっくに終わっていますが、近しい人だけということで、気楽です。 歓迎会を有志で開いてくれるとは、ありがたい話です。 ただ、明日から2泊3日で名古屋に行く予定。 名古屋は観光地とは言えませんが、京都には何度も行っているところ、いつも新幹線で素通りしていたので、一度降りたってみようと思ったのです。 犬山城や明治村、熱田神宮や名古屋城、それにTV塔、栄のあたりをぶらついてこようかと思っています。 また、名古屋はきしめんだのひつまぶしだの天むすだの味噌カツだの、変わった食い物が有名ですね。 必ずしも私の好みに合う物ではないかもしれませんが、まぁ、ものは試しで、食ってみようかと思っています。 なので、今夜は飲みすぎには注意しないといけません。 混雑する大型連休の新幹線、やっと予約できたのですから。 寝坊したら大変です。にほんブログ村 人気ブログランキングへ
散歩・旅行

来し方

今日は気温はそう高くないものの、きれいに晴れて、気持ちの良い日でした。 陽気に誘われて、ひと駅隣の町をぶらぶら散歩してまわりました。 20代前半の頃、私はこの町でアパートを借りて、初めて一人暮らしを楽しんだのでした。 大家族で育った私にとって、一人暮らしは想像以上に快適で、思わず実家に長いこと無沙汰をしてしまい、母からそれを責める手紙が届き、慌てて顔を見せに帰ったことを鮮やかに思い出します。 高速をとばせば、実家から1時間とかからない距離でしたから。 当時行きつけだった大衆割烹や定食屋、まだ頑張っている店もあれば、コンビニやカラオケ屋に代わっている店もあり、20年という月日の流れを感じました。 当時私が借りたのは、新築の2DK。 6畳の和室と6畳のフローリング、それに6畳のダイニングキッチンと風呂とトイレに洗面所。 これだけ広くて、しかもぴかぴかの新築で5万5千円という破格に安い家賃を聞いた時、幽霊が出るに違いないと思いました。 都内だったら郊外でも15万円ちかくするような物件です。 一人住まいには常識的には広すぎるアパートで、事実、若い夫婦ばかりでしたが、千葉の家賃は東京に比較してあ...
散歩・旅行

お花見

今日は午前中、近所の公園にお花見に出かけました。 例年ここで酒肴あつらえて花見の宴を楽しむのですが、今日は夕方診察があるため、酒は断念してお茶を飲みながらのお花見です。 白けますねぇ。 花の下で酒を飲まないのは20歳を超えてから初めてのことです。  残念。 散り始めてはいましたが、まだ激しく散っているわけではありません。 見ごろと言ってよいでしょうねぇ。 時間が早かったせいか、宴を始めている人はごくわずかでした。 折りしも部署が異動となったばかり。 時のうつろいの儚さを感じずにはいられません。 職場復帰を果たして5年目に入りました。 今年も無事に1年を過ごして、またここで花見を楽しみたいものです。にほんブログ村 人気ブログランキングへ
散歩・旅行

上野から日暮里ー花見散歩ー

好天に恵まれて、浮き足立った私は、車を一路上野へ向けました。言わずと知れた、上野公園の桜を観るためです。  まずは上野警察署前のコイン・パーキングに車を停め、歩き出しました。 上野駅前で白人の中年女性から浅草へはどう行ったらいいのかと英語で聞かれ、片言の英語で東京メトロ銀座線に乗れと案内しました。 無事着いたでしょうか? 上野公園は大層な人出でした。  車なので酒を飲むわけにはいかず、ゆっくり散策しました。  桜に再接近。 桜に憂愁を感じる暇が無いほどの人出に辟易し、早々と上野公園を出て東京藝術大学へと抜けました。 どこを目指すでもなく歩いていると、なんとなく谷中へ。 あるお寺に、見事な枝垂桜が咲いていました。  しばしうっとり。 途中、朝倉彫塑館に寄りました。 入館料500円が安いと思える大豪邸。 こんな屋敷に住んでみたいものです。 その後日暮里駅まで歩き、山手線で上野に戻り、珈琲を飲んでシガリロをふかし、帰宅の途につきました。 大満足の休日と相成りました。にほんブログ村 人気ブログランキングへ
散歩・旅行

慰霊散歩

2年前の3月、父は亡くなりました。 お彼岸でもあり、亡くなった月でもある今日、父が亡くなった浅草寺病院があり、また、父がこよなく愛し、行き着けの鮨屋やバーがある浅草を散歩しました。 昨年もそうしたように。 まずは車を吾妻橋の墨田区側にある時間貸し駐車場に停め、静かに吾妻橋を渡り、台東区側へ。 ここからはアサヒビール本社と東京スカイツリーが並んで見え、不思議な光景が拝めます。   写真におさめました。 その後、なにはともあれ観音様に参拝。 雷門前は写真を撮る観光客や、観光用の人力車がひしめいていました。 10年前までは浅草はさびれていましたが、多くの外国人観光客や東京観光に来た日本人などで溢れかえっていました。 変われば変わるものです。 人力車夫はいつから浅草にいるのでしょうねぇ。 私が子どもの頃はそんなものいませんでしたが。 この連中の呼び込みはうるさいほどで、辟易しました。 仲見世も身動き取れない状態だったので、裏道を使って本堂にたどり着きました。  東京スカイツリーとは全く違う、日本的な風景に、しばし安堵。 観音裏にある浅草寺病院を見て、しばし感慨にふけりました。 あの雪のちらつく...
スポンサーリンク