散歩・旅行

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中国人と日本人

かつて世界中を旅行したり仕事で飛び回っているアジア人は日本人だけでした。 昭和初期、アフリカにもアマゾンにも日本人がいて、英国人が、どこへ行っても日本人がいる、と嘆いたそうです。 もっとも、日本人から見れば、どこに行っても英国人がいる、と思ったでしょうけれど。 今、世界を旅行してまわるアジア人は日本人だけではなくなりました。 中国人の数が日本人を凌駕し始めています。 13億人も人口があれば当然すぎることです。 世界中で最も多くの観光客が訪れるフランスで、某フランス人が、顔は似ていても日本人か中国人かはすぐに見分けがつく、と言っていました。 エレガントな印象なら日本人、だらしない印象なら中国人。 日本人はたとえノーブランドの服を着ていても清潔で、肌も白く、ヘアスタイルも決まっていると言います。 中国人はスーツを好んで着用しているが、ピシッとした感じがしないそうです。 ヘアスタイルや身だしなみに全く無関心で、だらだらと疲れた感じで歩き、とにかくだらしない印象だとか。  礼儀正しく、謙虚で、話し声が小さいのが日本人。 ところかまわず座り込み、歩きながらつばや痰を吐き、怒鳴り声で話すのが中国人...
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亥鼻城

今日は暖かい陽射しに誘われて、ふらふらと千葉市中心部へと漂いだしました。 千葉市中心地に立地する亥鼻公園は、千葉氏の居城、亥鼻城跡を公園として整備したもので、千葉市内最大のお花見スポットです。 ただここは、あまりに多くの花見客が押し寄せ、騒音もひどいことから、人混みと騒音が大嫌いで、精神科医に禁じられてもいる私は写真を数枚撮影して、早々に立ち去りました。 今日は花見が主眼ではなく、散策が目的ですから。 当然、昼酒は飲みません。 二日続けて昼酒を飲むと疲れちゃいますしね。 ただでさえ騒々しいのに、右翼の宣伝車がやってきて、潰せー共産党だとか、天誅、共産党などと叫んでおり、不愉快この上ありません。 大体右翼といえども革新運動が出発なのですから、戦うべきは日本をミス・リードする政権与党であるはずです。 今の共産党には政権を奪う力も支持もなく、ただ実現可能性を無視した理屈は正しい正論を吐くだけの小集団に過ぎないのですから、むしろ革新勢力同士仲良くやったらどうでしょう。 天皇陛下を戴くかどうかに目をつぶれば、右翼も共産党も同じようなものです。 亥鼻公園、大層な人出でした。 写真をとったら逃げるよ...
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花見

今日はコンビニで酒、つまみ、おにぎりを調えて近所の公園へ花見に出かけました。 気温は低かったのでしょうが、風もなく、陽射しが暖かく、気持ちよく過ごせました。 案ずるより生むが安しとは良く言ったものです。 桜はやっと満開を迎えたばかりでしょうか。 若々しい感じがしました。 上野公園や靖国神社と違って、小規模なため、適度に静かで、そうかと言ってさびしいわけでもなく、善男善女が思い思いに酒だのお弁当だのを持ち込んで花見を楽しんでいました。 桜を観ると、また一年を無事に過ごすことができたのだなぁと、誰にともなく感謝したい気持ちになります。 同時に、来年もまた桜を観ることができるだろうかと、一抹の不安を覚えます。 何事も最後ということがありますから。 来週末になると、もう桜は狂ったように散り始めているでしょう。 それはそれで風情がありますが、その凶暴さゆえか、花の下で酒を楽しもうという気持ちにはなりません。 むしろ桜に対抗するためには、それこそ靖国神社や上野公園にでも出かけて、頭数を頼りに人間の優位を保ちたい気分になるから不思議です。 帰り、商店街で小さな桜祭りを開催していました。 そこには的屋...
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紅梅

この春2回ほど、白梅をブログに取り上げました。 そうしたら紅梅が観たくなります。 今日はご近所を散歩していて、見事な紅梅を見つけました。 他人の家の梅を写真に撮るのは気が引けましたが、見事だったもので。 紅梅の 咲くより猫の 静か也      正岡子規 正岡子規には紅梅を詠んだ句があまたありますが、私はこの句をもって嚆矢とします。 紅梅が咲いて猫が静かになっちゃうなんて、目の付け所が良いですねぇ。 暖かくなったせいなのか、静かな猫も何匹か見かけました。 もうあと10日もすると桜の季節になりますね。 桜は狂気染みていて、私にはあんまり激しすぎます。 梅の楚々とした雰囲気と、まだ凛とした冷たい空気が、私には心地よいですねぇ。 明日は忌引き明けで一週間ぶりの出勤。 紅梅でも愛でて、英気を養ったしだいです。子規句集 (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店にほんブログ村本・書籍 ブログランキングへ ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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しら梅

予報では真冬なみの寒い日だったはずが、ずいぶん暖かい一日となりました。 出先で、ふと、白梅の咲く庭を見かけました。 携帯で撮ったのですが、われながらひどい写真です。 ぽかぽか陽気でした。 以前にもこのブログで紹介しましたが、白梅を観ると、 しら梅に 明くる夜ばかりと なりにけり という与謝蕪村の辞世の句を思わずにはいられません。 いよいよという時、もう夜が明ければ白梅だけを観て死んでしまおうとも読めますが、私は、死後の世界を、白梅に明くる夜が永劫繰り返される理想郷として描いたものと捉えています。 今わの際に見事な美感を披露して、感嘆せざるを得ません。 先般亡くなった父は西行法師を偏愛し、もちろん、 ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの望月の頃 という、あまりにもゴージャスにわがくにびとの死生観や美感を詠った辞世を好んでいました。  しかし私にはこのあまりに直截で照れの無い感じが、恥ずかしくてたまりません。 蕪村の幻想美を良しとしますが、辞世ですからねぇ。 この世の終わりに照れても仕方ないんでしょうねぇ。 それよりは正直に言いたいことを言うということでしょうか。 そういえば...
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