スポンサーリンク
精神障害

言葉が出ない

土曜日を迎えました。 千葉市は本降りの雨が降っています。 夕方にはやむらしいですが、気分が晴れません。 今朝は朝一番で内科に行きました。 コレステロールを下げる薬をもらうためです。 夕方には精神科に行かなければなりません。 面倒くさいですが、大量の精神病薬を飲んでやっと正気を保っている身であれば、いたし方ない仕儀と言えましょう。 そして最近、違和感を感じているのが、うまく言葉が出なくなったこと。 吃音というわけではなく、すらすらと言葉が出ないのです。 私は人前で話したりするのは得意だと思っていたのですが、どこか奇妙です。 かつて久米宏がニュースステーションを降板する際、適格なタイミングで分かりやすく話すことが出来なくなったことを理由に挙げていました。 久米宏のごとき話すプロにとっては致命的だと感じたのでしょうね。 私は事務職ですから、仕事に支障があるということはありませんが、何か嫌ぁな感じがします。 若年性認知症だと困ります。 少し様子を見ますか。
映画

逃げる花嫁

またもや、寅さんを観てしまいました。 わざわざDVDを借りて。 今回のマドンナは桃井かおり。男はつらいよ 翔んでる寅次郎〈シリーズ第23作〉 4Kデジタル修復版 渥美清松竹 結婚式の最中にウェディングドレスのままタクシーで逃げてしまう上流階級のお嬢様。 このシーン、「ロング・バケーション」というドラマでも同じようなのがありましたっけ。ロングバケーション dvd 全11話を収録した7枚組 DVD 木村拓哉/山口智子日本のドラマ ロングバケーション dvdbuoksromenn 勝手知ったる柴又の、寅さんの実家へ逃げて、しばらく滞在。 上流階級同士の結婚を潔しとせず、自活して生きることを目指します。 そこでいつもの寅さんの恋愛沙汰。 しかし結局、マドンナは元の鞘に収まります。 ただし、大会社の社長の息子であったお相手は家出して工場労働者になり、父親から勘当されてしまいます。 マドンナも英語塾を開いて貧しいながら二人で暮らすのです。 珍しいのは、柴又の皆さんが開いた小さな披露宴で、寅さんが仲人を務めること。 いつもだったら、ふられたと知った寅さんはふいっと旅に出てしまうのですが。 寅さんも老...
仕事

時代

ゴールデンウィークも終わりに近づいています。 私は暦どおりのお休みでしたが、なかには休暇を取って10連休だった者もいます。 私は異動してやっと一か月なので、休暇を取る余裕はありませんでした。 着実に日は過ぎ、新しい職場にも慣れていくんでしょうね。 就職して31年目。 異動したところでどうということも無いのは、よく分かっています。 私は学術行政の仕事に就いていますが、年々、仕事が増えているように感じます。 お金の使い方に瑕疵がある研究費の不正、盗用などの研究不正。 これらが問題になり、研修を頻繁に行っています。 私のごとき木っ端役人が、大先生たちを相手に不正防止の講習会の講師っを務めたり。  また、外部資金の獲得に奔走したり。 わが国の研究機関は危機に瀕していると感じます。 思えば30年前は牧歌的でした。 職員もたくさんいて、一人が受け持つ仕事はわずかでした。 今は定員削減が進み、誰もがパンクしそうなほど仕事を持たされています。 こんな時代が来るとは。 それでも、辞めるわけにはいきません。 手に職の無い私が、そこそこの収入を得るためには、現在の仕事にしがみつくしかありません。 そう考えて...
その他

フーテン

今日は朝から微熱があって、大層、大義でした。 朝は11時まで寝ていて、少し元気になったので、車で10分ほどのところにある、パスタ専門店を訪れました。 サラダにジェノベーゼ、珈琲をいただいて、大分元気になりました。 珈琲は覚醒作用があるように思いますが、その作用は不安を伴います。 今日はそれが強くて、食後、頓服の抗不安薬を処方の倍、飲みました。 するとゆるりと効いてきて、不安は大分解消されました。 しかし不安の種は、仕事にあります。 明日、そして来週からの怒涛の忙しさを思うと、抗不安薬による効果など、酒でも飲んだような、一時的なものでしかないことも分かっています。 一つ一つ困難な仕事を片づけなければ、平穏は訪れません。 宮仕えなど、するものではありませんね。 今日も寅さんを観てしまいました。 的屋稼業は辛いことも多いでしょうが、旅から旅の暮らしには、憧れを感じます。 私もあんなフーテンの暮らしをしてみたいものです。
映画

死ぬ

今日、大好きな寅さんシリーズの、伊藤蘭がマドンナの作品を観ました。 若くて元気な寅さん、おいちゃん、おばちゃん、そしてさくらにひろしに満男。 みな若い。 若いということ、それだけで溌剌として美しい。 しかし今、寅さんも、おいちゃんも、おばちゃんも、この世の人ではありません。 映像のなかに残された元気な姿が、切なく感じられます。 おぎゃあと生まれた赤ちゃんは、少年、青年、中年の時を経て老境に至り、必ず、死んでいきます。 人間(じんかん)五十年。 人の世にいられるのは五十年だとか。 私は今52歳。 もう、それを超えています。 思えば多くの人の死を見てきました。 思い出すだけで泣けてくる父の死。 義父の死。 あまたの職場の先輩の死。 切ないのは後輩の自殺。 それらあまりに多くの死に接して、思わないわけにはいかないのが、私自身の死です。 死ぬのは怖ろしい。 しかし生きていくのも面倒だというのが、私の偽らざる心境です。 死ぬに至るには、衰えがあり、体の各地に痛みがあり、誠に苦しいことだと思います。 私は先人の死の在り様を思い、己の死が、安らかでありたいと願います。 死の問題を考えるのに、若いとい...
スポンサーリンク