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その他

鳴り響く音楽

最近、仕事中といわず、入浴中といわず、シューベルトの交響曲「未完成」が私の頭の中でがんがんと鳴り響いています。執拗にくりかえされる主題が、途切れることもなく。   通勤の車で聞くようになり、なぜか、この曲ばかりくりかえし聞いています。   こういう経験は、はるか昔、小学校のころにありました。  そのときは、「地獄の黙示録」で米軍がベトナムに空爆をする際、大音量で流していたワーグナーの「ワルキューレ」です。 そのシーンは凄惨で、ひどく恐ろしいのに、「ワルキューレ」はどこまでも美しく響くのです。   それと、「オーメン」シリーズの混声合唱。J・ゴールドスミスの「アヴェ・サンターニ」です。恐怖シーンには必ずこれが流れて、幼い私は震えあがったのです。  小学生の私は、勝手に流れ出す「ワルキューレ」や「アヴェ・サンターニ」に恐怖しながらも、その美しい旋律に酔いしれたのです。   中学生になると、私は文学や古典芸能に興味が移り、音楽に頭が支配されることはありませんでした。流行の歌を、テレビやラジオが垂れ流すままに、ぼんやりと聞いていました。  35歳でうつ病に罹り、ポップスもロックも演歌も耐えがた...
精神障害

飲み忘れ

朝、起きたら、猛烈に不安でした。 昨夜、夜の薬を飲み忘れたせいだと思います。 夜は、抗うつ薬がリフレックスとジェイゾロフトとドグマチール。気分安定剤がリーマス。眠れないときはこれにサイレースという睡眠導入剤が加わります。 一回飲み忘れただけで、これほど不安が強く、厭なことが次々にフラッシュバックするのかと、薬の威力に驚くと同時に、飲み忘れは絶対にダメだ、と思いました。 今朝は頓服で出ている抗不安薬(ワイパックス)を、処方の倍飲みました。 不安は和らぎましたが、眠くなるのには困りました。 今、昼休み。少し横になるとしましょう。畳の部屋があるのです。あの人が躁うつになったら―双極性障害の伴侶とともにジュリー・A.ファスト/ ジョン・D.プレストンオープンナレッジこのアイテムの詳細を見るこころの治療薬ハンドブック 第6版山口 登,酒井 隆,宮本 聖也,吉尾 隆,諸川 由実代星和書店このアイテムの詳細を見る
社会・政治

いや汁

負け犬の遠吠え酒井 順子講談社このアイテムの詳細を見る 数年前に、「負け犬の遠吠え」という本が流行りましたね。 30、未婚、子無しは「負け犬」だとか。著者自身のことでもあります。 人の多様な生き方を型にはめて本にするとはずいぶん下品な所業ですが、ここではあえてその内容は問いません。 私は、そのなかに出てくる「いや汁」という言葉が変に気に入りました。 この著書では、負け犬がかもしだす、独特のいやあな感じを、「いや汁」と言っています。 私は、この「いや汁」を、別な意味で用いています。 すなわち、働いていると出てくる、疲労をともなった、いやあな感じです。 労働による汗とか、そういう爽やかなものではありません。 油汗とも違う、実際の体液ではない、奇妙なそしていやな感じです。 一日働けば、必ず、一度や二度は意識してしまうものです。ふと仕事が暇になったときや、一段落したとき、「いや汁」は強烈に意識されるのです。 今日もたっぷりと、「いや汁」をだらだらと流しながら、職務に精励したのです。
文学

最近、外で酒を飲む機会がめっきり減りました。 時代の流れでしょうね。仕事帰りに上司や同僚、後輩と軽く一杯、という風習は、もはや無くなったと言っていいでしょう。 個人の時間を大切にする、という意味で喜ばしいことですが、一方、なんだかさびしいような気もします。 オーソン実験の昔に立ち返るまでもなく、職場における人間関係が業務能率に影響を与えるのは、当たり前の話です。 むしろ欧米人が、オーソン実験の結果をみて、人間関係が能率に影響することに驚いた、という事実に日本人たる私は驚きます。我々にとっては、あまりに当たり前の話です。 その私たちも、古い言葉ですがノミュニケーション というものを捨てようとしています。 病気の私には、ありがたいことです。 外で飲むことは減りましたが、家ではよく飲みます。酒好きなのですね。 身もおもく 酒のかをりはあおあおと 部屋に満ちたり 酔はむぞ今夜 酒を愛した歌人、若山牧水の歌です。いかにも酒好きらしい、飲むことを楽しみにしている風情が伝わってきます。 蒼ざめし 額つめたく濡れわたり 月夜の夏の 街を我が行く 同じ歌人の手になる和歌です。大正元年発表の「死か藝術か」...
精神障害

どうやら

今朝は早朝覚醒がありましたが、躁の徴候は出ていないようです。  むしろ、なんだか不安なような。 復職直後よりも、この2~3日のほうが、不安と緊張が強いです。 なぜかはわかりません。  芥川龍之介は、「将来に対するぼんやりとした不安」を理由に自ら命を絶ちました。 きっとうつ状態だったんでしょうね。晩年の作品は、侏儒の言葉」にしても、「或る阿呆の一生」にしても、凄惨な感じが漂っています。≪自殺に対するモンテーヌの弁護は幾多の真理を含んでいる。自殺しないものはしないのではない。自殺することのできないのである。≫ 上は、「自殺」と題された一節です。 自らを自死に向けて奮い立たせているかのごとくです。≪俳優や歌手の幸福はかれらの作品の残らぬことである。≫  「作家」と題した警句です。死を前にして、あまたの自らの手になる名作が、鬱陶しく感じたのでしょうか。でも今は、DVDやらCDやら、各種メディアで残ってしまいますね。不幸なことに。  私は、妙な気を起こすほどの不安は持っていません。 頓服で抗不安薬(ワイパックス)も出ていますし。 芥川龍之介全集 全8巻セット芥川 龍之介筑摩書房このアイテムの詳細...
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