スポンサーリンク
映画

レック2

DVDでスペインのホラー映画「レック2」を観ました。 前作は主観撮影のホラーらしく、何が何だかわからないまま、映画の登場人物の気分のまま終わりましたが、続編では同じ主観撮影ながら、神父がオチを語ってしまったため、納得はいきましたが、恐怖度という点では落ちます。 それにしても欧米の人はよほどキリスト教の悪魔が怖いらしく、狂犬病に似た人を凶暴にさせる感染症であったはずなのに、最後は悪魔を登場させてしまいました。ちょっとがっかり。 ブッシュ・ジュニアもイラク戦争のとき、十字軍だの悪魔だのと時代錯誤なことをほざき、世界の失笑を買っていましたね。 たいそう熱心なプロテスタント信者だそうですから、それもやむを得ないかもしれません。 しかしそうした考えが、キリスト教布教の名のもとにアジア・アフリカ・南米などで大虐殺を生み、キリスト教国同士の骨肉の植民地争いを生み、ついには前世紀に二つの世界大戦を引き起こしたと言っても過言ではないでしょう。わが国もこれらキリスト教国の諸先輩を真似て、遅ればせながらその争いに加わりましたが、キリスト教徒の執拗さに敵うはずもなく、大敗を喫しました。 現代社会においても、宗...
社会・政治

第2弾

またもや事業仕分けなる政治ショーもしくは集票活動が行われましたね。 事業仕分けというのは、じつは各省庁で何十年も継続して行われています。その事業が必要か、予算に無駄はないか。国の機関は常に会計検査院やかつての行政監察庁(今の総務省)から、厳しくその存在意義を問われ続けています。 私は十数年前、お茶の水女子大学で契約事務を担当していましたが、その頃から、現代において国が女子大学を運営する必要性を、再三再四、文部科学省から問われ続けました。 確かに、昔と違って、女性でもかつて男子校であった幾多の名門大学に入ることができますし、その研究教育の内容はすぐ近くに在る東京大学に比較もできません。しかしそれでも、文部科学省は当大学の存在意義を十年以上にわたって問い続け、廃止することはありません。廃止したら、すべてが途切れてしまうからでしょう。 たとえば農林水産省が所管する農業者大学校が、廃止と仕分けされました。わずか30分 で。それはなぜか。他に似たような教育施設があるからだそうです。 それならば、日本には総合大学が一つあればよいことになります。多くの大学は、似たような事業をやっています。似たような...
映画

アバター

話題の超大作「アバター」が早くもDVDで発売されたので、早速レンタルして鑑賞しました。 2時間40分が短く感じられるほど、スピード感のあるアクション大作でした。ストーリー自体は、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」や「ラストサムライ」のように、白人侵略者の一人が先住民側に立って闘い、ヒーローとなる、という単純なもので、深みや芸術性も皆無ですが、それでも、エンターテイメントとしては第一級だと思います。 こんなことなら劇場で3Dで観たかったですね。アバター 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンこのアイテムの詳細を見るアバター ラスト サムライ 特別版 〈2枚組〉 ワーナー・ホーム・ビデオこのアイテムの詳細を見るダンス・ウィズ・ウルブズ 通常版 東北新社このアイテムの詳細を見る
その他

田舎の職場

今日も通勤訓練のため、職場近くまで行きました。 私の職場は結構田舎です。巨大な公園のような敷地に、広大な建物が建っています。お国が作ると、どうして図体ばかり大きくて無粋なものになるのでしょうね。 職場の敷地を歩いていると、分け入っても 分け入っても 青い山 という種田山頭火の句を思い出しました。(少し大げさですが) 狸がでたこともあるようなところです。 山頭火はもともとたいそうな地主の総領息子だったのが、俳句にうつつを抜かして種田家は破産して一家離散。山頭火は乞食のようななりをして全国を放浪する身に落ちぶれました。 種田家の地元では俳句なんてバカなものに、とずいぶん酷評されたようですが、今では自由律俳句の巨人として国語の教科書に載るほどになりました。 死して後に名声を勝ち得たとしてもむなしい限りですが、映画「アマデウス」に登場するサリエリとモーツァルトの関係や生前名を成すことがなかった多くの芸術家を思うとき、芸術が半永久的な価値を持つものだとすれば、死後の評価も良しとしなければならない、と思うのです。山頭火句集 (ちくま文庫)種田 山頭火筑摩書房このアイテムの詳細を見る
仕事

タコつぼ学者

私は十八年間、文部科学省所管の大学や研究所に事務職員として勤務してきました。 それらの機関は、おおむね、学者が管理職として君臨しています。学者というのは私等事務職員と違って、管理職としての訓練を受けていません。そのため、管理能力に問題があるのは仕方のないことですが、それでも、学部長や学長に選出されるほどの人は、なかなかに立派な人物が多かったように思います。 しかるに、私が今勤務している研究所の長は、学者馬鹿というか、タコつぼ学者というか、まことに愚かな人物です。我儘放題、言いっぱなしのやりっぱなし。人の意見を聞くということがない独裁者です。 そのような人物にぐうの音も出ない他の学者や中間管理職は、じつに哀れです。 私はその長からパワーハラスメントの代償として百万円をせしめましたが、そやつは生来の愚か者のため、いまだに反省の素振りさえ見せません。 そのような職場に復帰しなければならない私もまた哀れですが、少なくとも私は、愚かな長に盲従することはついにありませんでした。 私が取りうる態度は、愚か者を愚か者として扱い、傲慢不遜に生きていく他ありません。 私の尊大な態度を見て、少しは人情を学び...
スポンサーリンク