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精神障害

二日酔い

昨日は何年ぶりかの二日酔いでした。というのも、金曜日の晩、リワークを修了する2名の方の送別会があったからです。 数多いリワークの先輩のなかでも、この二人とは特に親しくさせてもらっていたため、思わず飲みすぎました。反省しつつ、楽しくもあり、ときにはいいかな、とも思います。 リワークに通うまでは、病人が集団で飲み会をするなんて想像もできませんでしたが、実際は、健康な人のそれとなんら変わるところはありません。 飲みすぎてつぶれるやつもいれば、けたけたと笑い出すやつもいます。 リワークもあと三週間、楽しみたいものです。
精神障害

新年度

昨日から年度が替わりました。テレビニュースでは、入社式の様子が報じられています。 私の職場にも新人が入り、大規模な人事異動が行われたことでしょう。 しかし、今の私には、なんの興味もありません。 大事なことは、復職すること。 リワークは4月23日で修了となりますから、5月の連休明けくらいからリハビリ出勤を開始できればいいかな、と考えています。もっとも、まだ職場とは何も打ち合わせを行っていません。打ち合わせを行って、復職が現実のものになるのが怖いような。 元いた部署に戻るのか、別の部署で復帰するのか、それさえ定かではありません。 元いた部署なら、パワハラ親父と顔を合わせる機会は少ないでしょうが、畑違いでなんとなく居心地が悪いし、かといってパワハラ親父と顔を合わさざるを得ないような部署もいやですし。いっそ転勤でもしたほうが気楽かもしれません。
文学

呪い村436

「呪い村436」を観ました。 美しい田舎町では、人口が常に436人に保たれていました。新入りがくると一人が犠牲になります。子供が生まれてもそうです。しかも犠牲者は、名誉なことと、恍惚の表情を浮かべて縛り首になるのです。 残虐シーンがなく、美しい田舎の光景が広がります。 しかしそこに住む人々は狂気のカルト集団なのです。 そこここに、神を畏れ、賛美するシーンがでてきます。 残虐シーンよりそれら住民の、うっとりとした顔が恐ろしくて仕方ありません。 洋の東西を問わず、田舎には因習的な恐怖があるのですね。 私は田舎には住めません。呪い村 436 マイケル・キングストンソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
文学

花のした

桜が咲きました。 私は桜を見ると、憂鬱になります。 長いこと会計の仕事をしていて、桜の時期は決算と重なり、過重な労働を強いられたためでしょうか。桜を見ると、条件反射のように、山のような伝票や、深夜残業、それに犯罪すれすれ、というか犯罪そのもののような、日付の改ざんなどの処理を思い出すのです。もっとも、それら犯罪行為は、日本国中のお役所で日常的に行われていることでもあります。それはむしろ、犯罪というより法制度の欠陥と言ったほうがよいでしょう。 しかし、今は、ひま。 職業訓練には通っていますが、温水プールで戯れているようなもの。荒波を乗り越えて海で泳ぐのとはわけが違います。 この物狂おしい春を、やり過ごさなくてはなりません。  ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ  有名な西行法師の歌です。この歌ほど、多くの日本人の心をとらえたものはありますまい。 桜の下には死体が埋まっている、と言ったのは梶井基次郎でしたか。 春と花には、死のにおいがつきまとっています。 むしろ精神病者にはお似合いの季節かもしれません。
精神障害

なかなか

春本番が訪れませんね。桜も咲いているというのに。猫もさかっているというのに。 私は毎日リワークプログラムに通い、SSTだとか、WRAPだとか、アサーションだとか、認知行動療法だとか、アメリカ生まれの浅はかな処世術を学んで、少々食傷気味です。 人間精神は時々刻々と微妙に変化する、幽玄なものです。それを、ああすればこうなる、とか、この技法を使えば人間関係が円滑になるとか、愚かなことです。 コミュニケーションの要諦は簡単なこと。誠実に相手の話を聞いて、適切に自己の意見を述べればよいのです。 そうはいっても、リワークプログラムに通うのは楽しくもあります。 未知の知識を得、同病の仲間と語り合うことができるのですから。
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