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思想・学問

救いと悟り

親鸞上人は救いを阿弥陀仏による他力本願に求め、道元禅師は座禅の中に悟りを求めました。この二つの併存する概念を思うとき、精神病から逃れることは、救いのなかに悟りを求める、ブッダの原始の教えに帰っていくように思います。 薬による救いと、リワーク通所やリハビリ出勤などの悟り。 この二つが同時に行われなければ、問題は解決しません。 翻って考えれば、救いと悟りを対立的、もしくは併存的に考えること自体が、無理であるとわかります。 救いと悟りを同義と捉えてこそ、精神病からの脱却は可能なのではないかと考えます。薬で脳内物質を調節することと、行動で精神を動かすこと、これを一体的に捉えるのです。 なんてなことを考えながら、出勤が怖い、職場が怖い、パワハラ親父が憎い、そんな感情を消せずにいるのです。
映画

マリアの胃袋

お昼を食べていて、ふと、お腹がでてきたなあ、と感じました。中年太りとはよく言ったもので、子供が成長するごとく、生まれて死ぬ、その成長と老いの過程にその時期はあり、今私はそういう時期なのでしょうね。 それに加えて精神病薬の副作用もあるでしょうから、ダブルパンチです。 二十年ちかくも前でしょうか、「マリアの胃袋」というホラーコメディがありました。 大竹まことや柄本明が出ている映画です。 元グラビアモデルのマリアは、過食でみるかげもなく太ってしまいます。かつて美しいプロポーションだったころの自分のイメージヴィデオを毎日繰り返し観ながら、さらなる過食を繰り返す、引きこもりの日々を送っています。柄本明は際限のないマリアの食欲を満たすため、犯罪を繰り返すのです。 ストーリーはホラー、作りはコメディ、しかし、じつは人間の愚かな欲望とその末路を描いた映画でもあります。 私はおのれの腹をなでつつ、食欲のままに食うのは控えよう、と思うのです。マリアの胃袋 相楽晴子,柄本明,大竹まことパイオニアLDC
その他

遠く

今朝はリワークがはるかかなたに感じられます。 片道30分が、遠いのです。 行くことが、大変な難事業に感じられます。 こんなことはリワークに通い始めてから初めてです。 自分の体調・気分を把握するようリワークで訓練を受けていますが、今朝はかなりきつい感じです。行こうか、行くまいか。あるいは、午前だけで早退するか。 厄介な私です。
文学

自慢

先日、私の小説集「おにく姫」が、インターネットで3,200円の値がついていることを知りました。定価は1,000円ですから、3倍以上です。これには作者の私も驚きました。というより、心配になりました。そんな値段をつけて、買う人がいるのだろうか、と。 それよりはむしろ、値を下げてもいいから、増刷してほしいものです。 自慢。
散歩・旅行

戸山公園

昨日は戸山公園から早稲田あたりを散歩しました。 戸山公園の桜はまさに吹雪のように乱れ散っていました。もう季節は初夏に向かっているのですね。 早稲田大学には、土曜日だというのに多くの学生がいました。その若さの輝きがはかないものであろうとは、知ってはいても気付きますまい。 若さとは こんな淋しい 春なのか 自由律俳人、住宅顕信の句です。 25歳を迎える前に病で亡くなったこの俳人は、しかし、命のはかなさに気付いていたようです。それは病がもたらしたものなのか、あるいは深く信仰していたという親鸞上人の教えによるものか、今となっては確かめる術はありません。 精神病を発病してから、無常の念がますます強まっています。 しかしそれでも生きなければならないのですね。 人生楽ありゃ苦もあるさ、とか。 ここ五年ばからりは、苦しかありません。 そうであれば、次は楽、なのでしょうか?
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