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文学

向島

だいぶすずしくなったので、昨日は向島界隈を散歩しました。 まずは東向島駅に隣接する東武博物館で東武電車の古い列車に乗ったりして遊び、そのあと街を歩きました。 永井荷風が「濹東綺譚」で描いた昔の私娼街ですが、今は花街らしい面影はありませんでした。小さな古い商店や家、アパートなどが立ち並ぶ、いわゆる下町です。 久しぶりに、リヤカーを引いている人や、腹巻にステテコの老人、浴衣で闊歩する老旦那などを見ました。タイムスリップしたかのようでした。 しかし、あまりにごみごみしているので、住むのは無理かな、と思いました。 白鬚神社に詣で、帰路につきました。
精神障害

嫌です

私には、四つ嫌なことがあります。 一つに、人ごみ。 二つに、登り坂。 三つに、騒音。 四つに、待つこと。 私は車通勤ですので、満員電車は避けられます。人ごみは、あまり経験しなくてもよくなりました。 登り坂が嫌いなのは、平らでアップダウンの無い東京東部で生まれ育ったせいだと思います。山登りなど絶対にしませんし、エレベーターやエスカレーターがあれば、極力階段を使いません。 騒音は、この日本ではなかなか避けがたいことです。商店街でも、喫茶店でも、レストランでも、無用な音楽を流しています。これを騒音と呼ぶのです。私にとっては、テレビもラジオも騒音に過ぎません。流行の歌も、ほとんどは騒音です。 待つことは、5分でも嫌です。電車を待つのも、バスを待つのも、全く我慢なりません。そのため、車を利用することが多くなります。 これらは、6年前の精神病発症前は、ほとんど意識したことがなかったものです。精神疾患の副次的作用で、こらえ性がなくなったように思います。 これらのことを克服しないと、世の中は生きづらいように思います。しかし、様々な精神病薬は、これらを克服してくれません。 やれやれ。
文学

エヴリブレス

瀬名秀明が昨年出版した、「エヴリブレス」を読みました。 現実世界と、無限に存在するコンピュータ上の仮想社会との共鳴を描いています。 例えば、私が今日死んだとします。私のこれまでの記事や性格、行動をプログラミングした人口知能(仮とびお)に、現実の出来事や新しく発表される映画や小説の内容をダウンロードして、仮とびおにブログを更新させれば、このブログは、私の死後も、半永久的に続くことになります。 さらに、無数に存在するブログやホームページにも同様のことをし、その内容をリンクさせれば、仮想社会が成立します。 この小説では「BRT」という仮想現実ソフトに自身の仮の姿を投影させ、人口知能に「自動モード」という機能を付加します。もちろん手動で現実の本人が仮の姿を操ることもできますが、放っておけば「自動モード」で「BRT」の人物は勝手に生きていきます。しかも「BRT」には死がなく、人物を消去する機能が意図的に付与されていないので、現実社会の人間が死ねば、必ず、「自動モード」で永遠に生きていく運命にあります。 しかも、現実社会の投影である「BRT」の住民も、自分たちの世界の下位に「BRT」を持つので、階...
映画

食人族

DVDで「食人族」を観ました。1983年公開の、古い映画です。当時私は中学生で、さして興味を持ちませんでした。最近、ドキュメンタリー風に描かれていると聞いて、にわかに興味を持ち、観てみました。 ドキュメンタリー風に描かれたノンフィクションで、後の「ヴレア・ウィッチ・プロジェクト」などに通ずる先駆けとなった作品と思われます。 内容は、アマゾンの奥地に存在するという食人の習慣をもった部族に接触しようとしたアメリカの取材班が、その部族に攻撃的な態度をとったため、逆に虐殺されてしまう、というものです。 人といわず、獣といわず、残虐な虐殺シーンがこれでもか、というほどしつこく描かれる、下品な映画です。 しかし、それは果たして下品なのでしょうか。 私たちは、日々、誰かが殺した豚や牛や鳥や魚を食べています。ただ、殺す場面に接していないというだけです。 そしてまた、人類の歴史は戦いと虐殺を繰り返すものでした。 我がくにびとは、戦の戦利品として、人の首を切り落とす、首狩族でもありました。 それを考えれば、アマゾンの奥地にそんな部族がいようと、責めることはできますまい。鯨やイルカを食うことも、犬を食うこと...
その他

スペインのギャル

BSの東京カワイイTVを見ました。日本のポップカルチャーを紹介する番組です。 今日は、スペインで日本のギャルファッションやパラパラにはまった少女たちの三週間に及ぶ東京滞在記と、スペインでの日本のギャル文化の広がりを紹介していました。私はいわゆるギャルファッションがかわいいとは全く思いません。少し前に流行ったヤマンバなどが現れれば、裸足で逃げ出すことでしょう。 ところが、遠く離れたスペインの一部若者たちの心を捉えているのですから、驚きです。日本の漫画やアニメは、もはや芸術の域に達し、これは長く続くことと思います。 しかし、ギャル文化が百年後、過去の風俗として忘れ去られるのか、ポップカルチャーとして生き残るのか、それは分かりません。 ただ、私が思うのは、日本人の美意識や文化が、長い伝統のうえに若者に影を落としながら、新しい若者文化が生まれていること、そしてそれは、世界に通用するものであることです。 私は学生のころ、日本の伝統文化を学びました。そして和歌や能が、現代ヨーロッパから見て極めて前衛的に見えることを知りました。 私は、日本の伝統文化に基づいたものだけに愛国心を感じます。 そうである...
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