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精神障害

またもや

パワーハラスメント防止規程の話です。 相変わらず何の説明ももらえません。 仕方なく、管理職に問い合わせました。 すると、6月1日に規程を制定する権限がある会議を行ったが、議論百出して何も決まらなかった、とのことでした。 合意書を交わしてから1年半、規程制定の期限から9ヶ月がすぎてしまいました。 加害者からの直接の謝罪もありません。 解決金100万円と、謝罪します、という紙切れが自宅に送られてきただけです。 もういい加減この事件のことは忘れたいのですが、なかなか完全解決をみません。最近そのことが気になって仕方ありません。これがストレスになって、また病状が悪化するのではないかと心配です。 あるいは、私の病状を悪化させようとして、わざと制定しないんじゃないかと、勘繰りたくもなります。 早くもやもやから解放されたいものです。
思想・学問

みんな

わが国は、十七条憲法の時代から、和をもって貴しとなしてきました。 誠にそれはそのとおり。日本国憲法にも、みんな仲良く、という趣旨のことが書かれています。 しかし、私は「みんな」という日本語が嫌いです。 「みんな」とは誰と誰のことなのか。 少なくとも、私は「みんな」という集団に所属したことはありません。 それと、「連帯責任」。古くは「一億総懺悔」。 結局「みんな」が悪いということで、裏を返せば誰も責任を感じない。 稟議制というのもそうです。ヒラからトップまでずらりと判子を並べ、「みんな」で決めたような感じにする。しかもその実、代理決裁とか言って、課長補佐クラスが課長・部長・局長と、一人でバンバン判子を押していたり。 しかし、某アメリカ人が、テレビで、「みんな」という感覚を持っていることが、日本の良さだ、と言っていました。アメリカ人は、おのれ大事の行き過ぎた個人主義で、日本がうらやましい、と。 「みんな」仲良いのは結構なことですが、「みんな」から外れると、いじめが発生しますね。「村八分」など、まさにそれです。 「みんな」と言う言葉のなかに、集団のためにおのれを捨てろ、という感じがこもってい...
精神障害

誤解

昨日、ラジオを聴いていたら、パーソナリティーが、「心の病には、音楽が何よりの薬。間違っても同じ悩みを抱えている人同士で集まって傷をなめ合うようなことはしない方がいい」と言っていました。 大きな誤解、もしくは無理解、あるいは無知です。 健常者が少し落ち込んだ、程度のことならそれでもいいでしょうが、精神病を発症したなら、これは心の病ではなく、脳の障害なのですから、薬物療法を受けなければ良くなることは極めて困難です。また、自助グループで経験を話し合うことも、効果があります。 私も、「薬なんてやめてしまえ」とか、「気合だ」とか、「体を動かせば自然と良くなる」とか、「酒飲んで騒げば忘れちゃう」とか言われました。 そのようなことを言われると、無知ゆえとはいえ、ひどく傷つきます。 そういうことのすべてを試して、前にも進めず後ろにも退けない、八方塞りな状態に追い込まれて病院に行くのが普通ですから、なんとも白けた気分になります。 精神病に対する偏見はなかなかなくなりませんね。 私はそういうことを言われた場合、微笑んで答えないことにしています。
その他

愛自分弁当

最近、弁当男子とか言って、健康と節約のため、自分で弁当を作ってくる男性サラリーマンが話題になっていますね。 流行りに乗るわけではありませんが、今日、十年ぶりくらいに、自分で弁当を作りました。じつは、明日が給料日で、手元不如意なのが、その動機です。 冷凍の唐揚げを温めたのと、ソーセージを焼いたのと、卵焼き、それにきゅうりのサラダです。我ながらよく出来たと思います。 少しご飯をつめすぎたかな、と思います。 給料は上がらないし、夏のボーナスは減額ということなので、なるべく節約しようと思います。
その他

豪邸

私の住む町には、二軒の資産家がいるようです。M家とT家です。駐車場やらマンションやら、やたらとこの二軒の名前を目にします。 昨日、あまり行った事のない方角に散歩に出たら、お城かと見まがうお屋敷がありました。表札を見たら、T家でした。しかも、まわりにいくつも同じ表札の家があります。一族郎党がこの辺りに住まいしているのか、と驚きました。 私は小さなマンションのローンを毎月払い続けてもう十年たちます。 一回繰り上げ返済をすれば、あと十年はかからないと思いますが、それでも、二十年ちかくです。 貧富の差というのは、切ないですね。 資産家がうらやましい。
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