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その他

休暇

明日は有給休暇を取りました。 これで三連休です。特に予定があるわけではありませんが、なんとなく、休みたいなと思ったのです。 もっとも、なんとなく休みたいのはほとんど毎日のことですが、実行に移すのはなかなか大変です。 映画でも観るか、散歩でもするか、あるいは家でごろごろしているか、予定を定めないのが気持ちよかったりします。
精神障害

悲しみから

少しづつ遠ざかっています。 数え切れぬ夜と昼を越えて、来し方を何度も振り返って、私の精神は安定に向かっているようです。 薬だけのせいではありますまい。 働いていること、職場や身近な人が理解あること。 そのことが、私の心を、少しづつ解きほぐしているのだと思います。 今、私は読書や執筆を怠っています。 しかしそれを、精神の怠惰だと言って自分を責めることは止めました。 精神の怠惰も結構。 安定こそ、私が求めるべきものです。
その他

鼻かぜ

だるさは、鼻かぜだったようです。 職場で何度もおおきなくしゃみを連発して、顰蹙を買いました。 でも熱があるわけではないので、休むわけにもいきません。 鼻炎カプセルを飲むと眠くなるし。 もともと花粉症ではないのですが、あるとき突然発症するというから、恐ろしいです。
その他

だるさ

今日は朝 から体がだるく、午前中休みました。 良いお天気でしたが、ひたすら眠りました。 午後、強引に出勤して、仕事を始めたら、だるさは取れていきました。 うつの症状なのか、単に体のバイオリズムなのかはわかりません。 こんなことを繰り返しながら、定年まで働くとは、呆然とした気持ちになります。 宝くじでも当たって、退職したいものです。
文学

平気で生きる

正岡子規は、「病床六尺」のなかで、「悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも平気で生きることであった」と書いています。 平気で生きるということはいかにも難しいことです。ただ必死で、その日を生きている凡夫にとって、平気で生きるなど、空恐ろしいこととさえ言えます。 私は、平気で生きられるようになったら、どんなに良いかと思います。 正岡子規もまた、死の床に着いて、そのことに気づいたのでしょう。 そもそも平気で生きるという状態は、想像することすらできません。 それはまさに、悟りと言うほかないものです。
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