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散歩・旅行

船橋大神宮

好天に恵まれ、昨日は船橋周辺を散歩しました。 立ち寄った船橋大神宮は、銀杏が見事でした。 また、七五三を祝う親子連れが大勢訪れていました。 良い気分転換になりました。 散歩後、診察に行きました。 抗うつ薬のジェイゾロフトが25mから50mに増量になりました。 夜は愛飲のいいちこで一杯やりました。 まずは良い三連休の初日でした。
仕事

週末

やっと金曜日の勤務が終わりました。 明日から三連休。 とりあえず、ほっとしています。 毎日必死の思いで出勤しています。 長い軽うつが続いています。 明日は診察ですので、抗うつ薬を増やしてもらおうかと思います。
仕事

やりがい

なんとかフルタイムの仕事に耐えています。 しかし、今の私の仕事は、量はいくらでもありますが、締切りがなく、今日やっても、明日やっても、あさってやってもかまわない、という内容です。 これが、やる気をなくします。 人間、いつまでに、という期限がなければ、なかなかやる気が起きないものです。 ただ無駄に時間を浪費しているような気がしてなりません。 労働の対価として給料をもらっているというより、生活保護を受けているような気分です。 贅沢な悩みかもしれません。
精神障害

お休み

今日からフルタイム出勤の予定だったのですが、腰の痛みとだるさのため、お休みしました。 このところ、軽うつが続いているように感じます。 仕事をしているか、酒を飲んでいるか、横になっているか、いずれかです。 今日もほぼ一日、横になっていました。 脳が働かないというか、何事にも興味がわかず、意欲もありません。 せっかく復職して一ヶ月もったのですから、明日は必ず、出勤して、定時まで働きたいと思っています。 明後日は自宅近くの関連機関に所用で行く予定で、直行直帰できます。 事実上、明日と金曜日さえがんばれば、今週は終わります。 ここが踏ん張りどころと思います。
思想・学問

四十にして惑う

「論語」に、「四十而不惑」と、あります。 私はもうじき四十ですが、惑いっぱなしです。 「四十にして惑わず」などと、信じられません。 仕事が込めば惑います。 旨いものを食いたいだの、たっぷり寝たいだの、可愛い女と遊びたいだの、小説で世に出たいだのと、煩悩の塊です。 十五で学を志したとか、三十にして立った、とか言うのは理解できます。 しかし、四十にして惑わずというのは、理解できません。 果たしてこの現世に生きる生身の人間が、不惑の境地を迎えることなどありえましょうか。 まして、五十にして天命を知るとか、六十にして耳順うとか、そんなことが私の心に起こったなら、驚天動地の大事件と言わざるを得ません。 そんなことは、仏教で言う魔境と言うべきです。 儒者を疑う気はありませんが、私の素直な欲望に照らして、そう思います。 その時を待たなければいけませんが、年をとるなど、私には、ただずうずうしくなっていくだけのような気がします。
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