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文学

覚めざる人

石川啄木は、書簡で、「創作家と称する人」を二分しています。すなわち、「勤勉なる鈍物」と、「覚めざる人」です。「覚めざる人」は、さらに四分しています。「古き夢より覚めざる人」、「若き夢より覚めざる人」、「覚めることを恐れて、夜が明けても寝ている人」、「夢の覚め方が何人も同じなるを知らで、何とかして自分一人特別な覚め方をしようと無用なる苦痛をしている人」です。 大体まともな人間は、創作などしようとは思いません。神にでもなったつもりで、自分一人満足しようと創作するのは、一種の自慰行為みたいなものです。精神的オナニストとでも言いましょうか。 私などは、さしずめ「夜が明けても寝ている人」でしょうか。退行欲求というか、そういうものが、幼いころから強かったように思います。それだけに、啄木のこの書簡は、痛いところを突かれた、という感じです。 しかし、持って生まれた性分はどうにもなりません。 業病としか言いようがありません。 抗「覚めざる人」薬でも開発してほしいものです。
仕事

人事

先週、人事異動が発表されました。私は図書館残留です。まだ復職して半年ですから、もうしばらく様子を見ようということのようです。とりあえず、ほっとしました。図書館は、職員の半数ちかくが異動です。 一昨日は、送別会が行われました。栄転する人、はるか九州の大学に飛ばされる人、様々です。こんなことに毎年一喜一憂しながら、定年まで働くのですね。長い懲役みたいなものです。 ジェイゾロフトが増えてから、少し調子が良いようです。薬は一生飲み続けなければならないようです。しかし、高血圧だの糖尿病だの持病がある人はみなそうです。精神病薬とて同じこと。薬を飲むなんて簡単なことです。それで幸せに生きられれば、なんの問題もありません。三ヶ月に一度の血液検査でも、副作用は出ていません。 今日は花冷えで花見に出かける気分にはなれません。きっと来週末は、暖かで、満開を迎えていることでしょう。
精神障害

春愁

春愁にやられています。 なぜ希望の季節であるはずの春が、憂鬱を引き起こすのでしょうか。 私は長く、会計の仕事をしていました。会計屋にとって、三月四月は地獄とも、お祭りとも言われます。決算処理に向けて、深夜に及ぶ残業や休日出勤が続きます。そんな時期、桜は美しく咲き、呆気なく散るのです。 私は、国立大学や国立研究所などを転々としてきました。それらの職場には、必ず、桜があるのです。国立大学では、伝票と格闘しているときに、学生たちの花見の馬鹿騒ぎが聞こえてきます。そのせいで、桜を観ると憂鬱になる癖がついてしまいました。 今、図書館に在って、年度末も平和でのんびりした時間を過ごしています。 それでも、なぜか春の気配が、私に愁いをもたらすのです。 昨日の診察で、抗うつ薬のジェイゾロフトが50mgから75mgに増えました。 面倒な私のたましいが、春に泣いています。
散歩・旅行

一輪

昨日は天気が良かったので、谷中・千駄木・根津の界隈を散歩しました。都内でも人気の散歩コースということで、多くの善男善女がガイドブック片手にふらふら歩いていました。 古い店や路地がたくさんあり、お寺だらけで、風情のある街並みでした。 谷中霊園の桜並木で、一輪だけ、開花しているのを見つけました。 せっかちな桜ですね。 予定日より二ヶ月早く生まれた未熟児であった私は、その桜にシンパシーを感じました。
文学

菜の花

今日は日韓戦をテレビ観戦した後、晴れたので近所の住宅街をふらふらと歩き回りました。 千葉県の花、菜の花が咲いていました。もう春本番ですね。 与謝蕪村の句に、有名な「菜の花や月は東に日は西に」があります。小学校の国語の教科書にも載っている、蕪村の最も有名な句です。 しかし、春の句では、私は、「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」を良しとします。国文学者、芳賀徹は、これらの句を、「失われてしまった幼少の日々の緑の楽園、桃源への遡行の願い」が感じられる、と書いています。 「徒然草」第十三段の、「ひとり、ともし火のもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」を実感させる、幸せな時間を、蕪村は私たちに与えてくれます。
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