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精神障害

診察

一週間の疲れか、朝からひどくだるく、ごろごろしていました。  夕方、診察がありました。 朝体がひどくだるく、食欲がない、という話をしたら、抗うつ薬として、レスリン25mが追加されました。以前、うつがひどい時は、レスリン75mとジェイゾロフトとドグマチールを飲んでいました。 最近は躁転を恐れて、抗うつ薬はドグマチールだけにしていたのですが、また抗うつ薬が増えてしまいました。 これで少し上がってくれれば、ありがたいと思います。 先日、北杜夫がテレビに出ていました。北杜夫は躁鬱病を抱えながら、長い作家生活をおくってきたそうです。途中、躁のときに株に手を出して破産したとか。それでも、老境にいたるまで人生を真摯に生きたことに、驚嘆を禁じえませんでした。
文学

一週間

やっと金曜日の夕方になりました。 今週もしんどい一週間でした。 それでも、休まず出勤しています。 それだけは、よくやった、と思います。 私は精神病を患ってから、世を捨てた気分でいますが、本当に世を捨てることは不可能です。出家隠遁したところで、完全に世を捨てることなどできはしますまい。要はどう世間と付き合っていくか、ということでしょう。 西行の歌に、 世の中を 捨てて捨てえぬ心地して 都はなれぬ 我が身なりけり というのがあります。 漂泊の隠遁者のイメージが強い西行ですが、いくら旅を重ねても、結局は京の都に帰ってしまった、とのことです。 北面の武士という地位を捨ててまで出家した西行ですらそうなのですから、サラリーマンの私が世を捨てたなど、ちゃんちゃら可笑しいというものでしょうか。
文学

数奇者

森鴎外は、小学校入学以来、軍医として陸軍省に勤務している状態にいたるまで、自らの生活を、「芝居をしているかのようだ」と言っています。演出家は世間、自分は役者というわけです。 そして、深夜、読書や執筆に励む自分を、化粧を落とした状態だ、とも。 それなら、もはや芝居で活躍できなくなった私は、数奇者として生きる他ありません。 鴨長明は、「発心集」で、「数奇」を、「人の交わりを好まず、身の沈めるをも愁へず、花の咲き散るをあはれみ、月の出入を思ふに付けて、常に心を澄まして、世の濁りにしまぬを事とす」と、説明しています。 現代では、その語感から、「色好み」とする向きもありますが、それは字が違います。 職場で腫れ物扱いされている以上、せめて拙い化粧を落とした私は、数奇を気取りましょう。
精神障害

不調

朝、体調がすぐれません。 職場に行くのが億劫で、憂鬱です。 毎朝、今日は休もうと思いながらギリギリまでベッドから離れられず、それでも、長期の休職を恐れてなんとか出勤しています。 職場に着いてしまえば、憂鬱な気持ちも多少はやわらぎますが、それでも、調子が良いとは言えません。 今日は、私が事務を担当していた重要な会議の日でした。 今は、いそいそと会議に向かう人をただ見るだけ。 事務は、かつての私の直属の上司が代行しています。 私は書庫にこもって、本の整理をするしかありません。 元直属の上司には重い負担をかけています。 自分が情けないような。 しかし、それでも私は、今与えられた仕事を淡々とこなして、その日ぐらしを続けるほかないのです。 その日のことだけ考えて、明日のことは考えない。 その日、無事に仕事ができればいい。 私は毎日、念仏のように、「その日ぐらし、その日ぐらし」と、となえています。 ただ一杯の晩酌だけが楽しみです。
散歩・旅行

高輪散歩

昨日は高輪周辺を散歩しました。 品川駅で降りて高輪方面へ向かい、明治学院大学を覗き、日本で唯一の火の見櫓が現存する高輪消防署を見て、高松宮邸・泉岳寺に向かいました。 写真は泉岳寺の山門です。 赤穂義士の墓には多くの線香が手向けられ、寺域一帯で線香の香りを聞くことができました。 さらに芝公園・増上寺まで歩き、都営三田線の御成門駅から帰りました。 じつに一万七千歩の大散歩でした。 平日働き、週末に散歩する、良いリズムができてきました。 ただ、毎日書庫で古い和綴本などを扱っているせいか、少々鼻づまりです。
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