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映画

寄生獣 完結編あるいは解説編

今日はあんまり良い陽気なので、休暇を取りました。 首都圏は早くも夏日を迎えたようです。 休日恒例の朝湯をつかい、朝飯を食ってからまずはお掃除。 その後、久しぶりに映画館に足を運びました。 「寄生獣 完結編」を観るためです。 じつは金曜日に地上波で「寄生獣」を放送しており、観るとも無しに観ていたら、続編が観たくなったのです。 まさしく宣伝に引っかかってしまったようです。 まずは前作、「寄生獣」の予告編をご覧ください。 耳の穴や鼻の穴などから人間の脳内に忍び込んで人間を完全に支配し、しかも人間を捕食するという恐るべき寄生生物。 ところがある男子高校生に寄生しようとした生物が、脳に達することができず、右手だけを支配することになってしまい、宿主である高校生が死ぬと自分も死んでしまうことから、高校生と一緒に同種の寄生生物と戦うという奇想天外なお話。 戦いの多様性や緊迫感はなかなかのものです。 人間しか食わない寄生生物は控えめだとか、人間が悪魔に最も近いとか、人間こそ地球に寄生して地球もろとも滅ぼうとしているとか、浅はかな哲学的会話もありますが、それはすべて無視。 ひたすらくだらないけど面白いエン...
散歩・旅行

千葉LOVE

今日は暑いくらいの陽気で、千葉市中心部を散歩しました。 まずは栄町のコイン・パーキングに車を停めました。 自宅マンションから15分もかかりません、 しかも風俗街というお土地柄のせいか、70分100円という馬鹿値です。 気軽に散歩が楽しめる条件が整っています。  まずは千葉中央公園を目指しました。 公園では、千葉市仏教会が花祭りを開催していました。 ちょっと時季が遅すぎやしませんかね。 お稚児行列に偉そうな年寄りの坊さんが付添って、華やかなものでした。 そのまま千葉銀座に進むと、フリーマーケットをやっていました。 服から骨董品、さらには犬や猫まで、じつに多種多様な品物が置かれていました。 ヤンキー風の兄ちゃんが、着流し姿の私を尊敬の目で見つ、「格好良いですねぇ」と声をかけてきたので、「ありがとよ」と、軽く受け流しておきました。 893関係の人と間違われた風ですが、私はあいにくガチガチの堅気です。 途中、ファミレスでお食事。 40は過ぎていると思われる薄汚い長髪のおっさん3人が、盛大に酒盛りしていました。 音楽の話などで盛り上がっていましたが、彼らの将来が心配です。 私には関係ありませんが...
映画

脳の冒険

DVDでなかなかの快作を鑑賞しました。 フランスの大御所、リュック・ベッソン監督の手になる脳の覚醒を描いたSF映画、「ルーシー」です。 雰囲気は監督の初期の名作「ニキータ」に似ていますが、内容はかなり異なります。ニキータ アンヌ・パリロー,ジャン=ユーグ・アングラード,ジャン・レノ角川書店 台湾に滞在するルーシーは、ひょんなことがきっかけで、韓国マフィアによって新しいドラッグ、CPH4を腹に埋め込まれ、運び屋にさせられてしまいます。 しかし韓国マフィアに腹を蹴られたことから、ビニール袋に入ったドラッグが漏れ、ルーシーはこのドラッグによって恐るべき能力を得るのです。  同時並行して脳科学者の講演が挿入され、人間は脳の10%しか機能しておらず、これが20%、30%と上がっていけば全く未知の知覚を得、能力を獲得するであろうことが示唆されます。 ルーシーはほとんど超能力者のような存在と化し、画面には大写しで40%とか60%とかが表示され、彼女が激しい脳の冒険に出かけたことが示されます。 その間、韓国マフィアとのあり得ないくらい激しい戦いがあったり、はるか原始時代、あるいは地球誕生前の宇宙の幻視...
思想・学問

死の魔法

なんだかこのところ残業続きで疲労がたまっているようです。 ストレスからか、日々の晩酌もつい過ぎるようで、これでは体を壊してしまいそうです。 今の私には、若い頃のような、連日の残業に耐える体力はありませんから。 日々の仕事に追われ、それは第一に生活の糧を得るためであり、広い意味での社会参加でもありますが、それがため、重要な問題が置き去りにされているような気がしてなりません。 それは生老病死ということ。 お釈迦様が深く悩んで出家に至ったのは、生まれながらの苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみ、死の苦しみについて考えるためです。 それはすべての人々が考えるべき重要問題です。 特に、死ぬということ。 私たちはおぎゃあと生まれた瞬間から、死の魔法にかけられています。 まっすぐに、いつか分からない死の瞬間に向かって突き進んでいるわけです。 今、この瞬間も。 普段あまり気にもかけませんが、考えてみると恐ろしい話です。 要するに私たちは全員死刑囚のようなもの。 私が死刑制度に強く反対なのは、誰だって必ず死ぬのに、それを早めることが刑罰になるとは思えないからです。 死の魔法から逃れようと、不老長寿の妙薬を...
文学

世をそむけり

すべてあらぬ世を念じ過ぐしつゝ、心をなやませることは、三十餘年なり。 その間をりをりのたがひめに、おのづから短き運をさとりぬ。 すなはち五十の春をむかへて、家をいで世をそむけり。 もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。 身に官祿あらず、何につけてか執をとゞめむ。 むなしく大原山の雲に臥して、また五かへりの春秋をなん経にける。 「方丈記」にみられる一節です。 現代語では、以下のようなところでしょうか。 生きにくい世の中、無事を祈りつつも、心を悩ませること三十年あまり。 その間、人生の節目節目に行き違いがあってうまくいかず、運が無いことを悟った。 そこで五十歳の春、家を出て世を捨てた。 もともと妻子もなければ、家を出ることを思いとどまるような親類も無い。 官位もなく、禄も無い。 世に執着する理由など無い。 何をするでもなく、大原山の雲の下で過ごし、五年の月日が経った。方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)簗瀬 一雄角川学芸出版 筆者の鴨長明は、もともと京都の賀茂御祖神社禰宜の次男に生まれ、跡を継ごうと様々に画策しますがうまくいかず、世をはかなんで世捨て人となり、京の田舎に庵を結...
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