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精神障害

恥ずかしながら

恥ずかしながら昨日は熱とくしゃみで寝込んでしまいました。 急激な気温の低下が原因かと思われます。 市販の風邪薬だけで、なんとか今朝は回復したようです。 土曜日で良かったというべきか、折角のお出かけ日和に損をしたというべきか。 それでも、16時半から精神科の予約をしていたので、診察には出かけました。 このところまぁまぁ調子が良いので、薬は変わらず。 私が通っている精神科は完全予約制なので、とくに相談すべきことがなくても、15分くらいは雑談してくれます。 精神科でも3分診療が横行しているなか、良心的な医師だと思います。 雑談とはいっても、医師はおそらく、私の表情や口ぶりなどを入念にチェックして、異変の芽がないかを探っているのだろうと思います。 精神科は相性が大切なので、良かったと思います。 以前通っていた医者は、患者の言いなりのようなところがあって、病気休暇のための診断書を書いてくれといえば、「何ヶ月にしますか」なんて聞いてきて、半年でも1年でも出してくれます。 薬も患者が望むままに出していました。 それが頼りなくて、今の医者に代えたのですが、こちらはどんなに長くても2ヶ月までしか診断書は...
お笑い

喜劇

喜劇あるいはお笑いというのは、人類が作り出した最も偉大な精神を体現しているといえるでしょう。 風刺や皮肉で遠まわしに権力者を揶揄したり、自己卑下でもって人間の愚かさをあぶりだしたり。 だからこそ喜劇やお笑いは、洋の東西を問わず、弾圧の対象となってきました。 それを端的に示した名作が、うす暗く不気味な中世の田舎に建てられたキリスト教寺院での連続殺人を題材にした「薔薇の名前」でしょうね。薔薇の名前 特別版 ショーン・コネリー,クリスチャン・スレーター,F・マーレイ・エイブラハムワーナー・ホーム・ビデオ薔薇の名前〈上〉河島 英昭東京創元社薔薇の名前〈下〉河島 英昭東京創元社 わが国でも、戦前、洗練された都会的で乾いた笑いで人気を博したあきれたぼういずのレコードが発売禁止になったりしました。あきれたぼういず / ぼういず伝説あきれたぼういず,川田義雄,第二次あきれたぼういず,三宅幹夫,岡本郁次郎,上山雅輔,平茂夫,岡村雅雄ビクターエンタテインメントあきれたぼういずアンソロジーテイチクエンタテインメントテイチクエンタテインメント 古来、わが国では能楽といえばシリアスな能と滑稽な狂言をセットで上演...
その他

擬態

日々精進するも、我、未だ一人前たらず。 無駄に馬齢を重ねるのみ。 しかれども後輩諸氏より見たれば、我、大傲慢の怖ろしき先輩なり。 我、外見を取り繕いてのやせ我慢により、かくの如き評価を得たり。 これ、我の望むところにあらねど、世の習い、年長者たるの自覚により、猿芝居を続けるのみ。 今、若かりし日に仰ぎ見た尊敬すべき先輩諸氏を想い浮かべ、初めて諸氏の心情を慮りたり。  先輩諸氏、正義を演じ、能率を説き、酒をおごり、人生を説く。 若かりし我、これを素直に受け止め、尊敬したるが、それは芝居であったかと、驚愕せざるはなし。 時は移り、酒をおごるが如きは個人的生活への侵害なりとて、その機会はわずかなれど、職場においては立派なる社会人を演じるが、今、我に求められたる役割なりと得心せり。 誠に面映ゆきことなれど、世の要請とあらば、甘んじて役割を引き受けむ。 果たして長じることによる成長とは何ぞや。 経験は重ねたり。 知識は増えたり。 勘は働きたり。 そは職務遂行上、重要なること疑いなし。 されど我、根本的の疑問を生ぜしめ、おのれを苦しめたり。 経験、知識、勘、我の人間的成長に関わりなし。 そは自動車...
その他

お迎え

多くの中年諸氏、わけても女性は、外見の老いを怖れますね。 気持ちは分からないでもないですが、無益なことです。 外見が老いないようにしたかったら、なるべく早く自ら命を絶つことをお勧めします。 外見の若さを保つ方法を売りつけようとする宣伝番組を見たすぐ後に、肉体の健康を維持するサプリメントの番組を見ているとなると、これはもはや滑稽としか言いようがありません。 長生きすれば必ず外見は衰えます。 肉体的に健康でも、皺や白髪を完全に防ぐことなどできようはずもありません。 それはおぎゃあと生まれた赤ん坊が、日に日に成長するのと同じこと。 衰えるということは、きちんと成長し、さらには長生きできたということで、むしろこれを寿ぐべきでしょう。 長生きした老人の皺が味わい深く、時に美しいものであることを知るべきでしょう。 そもそも、この先どれだけ長生きできるか分かりません。 今が一番若いとは言い古された言葉ですが、全くそのとおりでしょう。 昨日はすでに過ぎ去って取り戻しようがなく、明日は今日より一日分老けるのですから、常に、只今現在が一番若いのは道理です。 私は近頃老眼が出てきて、新聞などを近くで読む際に...
文学

物語の真実

時折、なんということもなく、来し方を思い、また今の状況を考え、憂いを帯びることがあります。 中年なればこそ、若い日の愚行は、愚かゆえに懐かしくも感じるもの。 しかし40代半ばの今も、愚行を繰り返して生きていることに変わりはありません。 ただ、愚かさの上に常識の仮面をまとっただけのこと。 時間というのは不思議なもので、確かに起きたことなのに、あらゆる事実が歪められ、あるいは誇張され、また、忘れ去られていきます。 だからこそ歴史学なる学問が生まれ、歴史学者は考古遺物や古い文書などを手掛かりに、昔の姿を再現しようと努めるのでしょう。 しかし、それが確かにそうだったかどうかなんて、分かるはずもありません。 なんとなれば、私たちは半日前のことですら、精確に再現することは出来ないからです。 最近朝日新聞が、従軍慰安婦は旧軍が組織的・強制的に行ったものだとする30年も前の記事を訂正しました。 そういう事実はなかった、あるいはあったかもしれないが確たる証拠はない、と。 その一事をもってしても、過去、この世で行われたことを精確に知ることはできないと得心がいくでしょう。 ゆえに私は、繰り返し、真実は物語の...
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