スポンサーリンク
その他

中2病

中2病という言葉があるそうですね。 思春期特有の自我の肥大などを揶揄する言葉のようですが、少年らしくて結構なことだと思います。 もちろん、医学的な意味での病気ではありません。 不良っぽく振舞ったり、自分が個性的だと見せたいためにサブ・カルチャーにのめり込んだり、オカルトにはまって社会を批判したり。 私が中学生の頃は中2病という言葉は存在しませんでしたが、確かに必要以上に自我が肥大化し、自分は天才だと思いこんだりしました。 生活のため、家族のためにあくせく働く大人たちを馬鹿にしたり、碌なものではありませんが、そういう過程をきちんと踏まないと、まともな大人になれないのだと思います。 一種の通過儀礼でしょうねぇ。 具体的な症例として、  洋楽を聴き始める。  旨いと思わないのにコーヒーを飲み始める。  売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。  やればなんでもできると思っている。  母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。  少し歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。 などが挙げられそうですが、可愛いものです。 むしろ私が中2の頃の...
社会・政治

ナチの子孫

中韓はわが国の戦前戦中の罪をいまだに言いたて、ナチと同じような犯罪国家に仕立て上げようとしています。 さらに、戦後のドイツが謝罪し続けているのに、わが国はそうではないと非難します。 しかしそれはお門違いというもの。 わが国は当時多数存在していた帝国主義国家の一員として、帝国主義国家としては普通の、当たり前の戦争を戦ったまでのこと。 ナチのように、ある民族を計画的に国家ぐるみで抹殺しようとしたことなどありません。 中学生の頃、ドイツはヒトラーのナチ党が、イタリアはムッソリーニのファシスト党が独裁し、わが国は軍部が独裁した、と教わりました。 長じて、それは嘘であったことを知りました。 大体独裁というからには独裁者や党が必要で、軍部という漠然としたものが独裁を行うことは不可能です。 陸軍と海軍では意見が異なっていたし、陸軍も一枚岩ではありませんでした。 また、戦争中も赤尾敏のように大政翼賛会に属さず、戦争に反対し続けた議員も少数ですが存在していました。 大日本帝国は戦争中も英米と同じ程度には民主的であったと言えるでしょう。 最近、ナチの幹部の子や孫がその後どんな人生を送ったかを追ったドキュメ...
文学

スーパー能「世阿弥」

今日はNHKで変わった能を観ました。 スーパー能「世阿弥」です。 梅原猛が書き下ろした全編現代語の能で、地謡や太鼓や鼓は能舞台に上がらず、オペラのオーケストラのように一段下に陣取っていました。 さらに、通常の能では照明を変化させることはありませんが、暗くしてみたり、青白くしてみたり、誠に奇異な能でした。 内容は、観世流の創設者にして能の大成者、世阿弥とその妻、さらには息子との情愛を描いたもので、現代語だけに分かりやすいものでしたが、どうしても能らしい幽玄の美のようなものが感じられず、中途半端な印象を受けました。 時の権力者、足利将軍に疎まれた世阿弥親子。 世阿弥の子、元雅は足利将軍が放った刺客に殺されてしまいます。 観世流が途絶えてしまう、と嘆き悲しんだ世阿弥は妻と心中することを決意しますが、そこに元雅の亡霊が現れて、自分は観世流を守るために死んだのだ、足利将軍の怒りはおさまり、まさか能の大成者である世阿弥まで殺害することはないでしょうから、どうか父上は長生きして観世流を復興させてほしい、と願い、去って行きます。 その噂を聞いた金春流など、他の流派の能楽師が世阿弥を訪ね、元雅から能の秘...
社会・政治

小泉元総理の脱原発

小泉元総理が講演会で、「今すぐ原発を全廃すべきだ」と発言したことが波紋をよんでいますね。 鳩や菅が言う分にはさしたる影響はありませんが、5年以上も政権を担い、国民から高い支持を受けていた小泉元総理の発言ですから、影響は大きいでしょうねぇ。 今はまだスローガン的な発言ですから、その真意は不明ですが、例えば原発を止めるための詳細な行程や、代替エネルギーの詳細な案を示した場合、安倍政権はそれを無視できないでしょうねぇ。 わが国には言論の自由がありますし、時代の状況によって意見が変わるのは不思議なことではありませんが、策士でもある小泉元総理が素朴に脱原発を言いだしたとはとても思えません。 何か裏があるような。 原子力発電をめぐる状況を考えれば、少しずつ減らしていき、遠い将来において廃止するというのが現実的でしょうね。 でも、今すぐ全廃というわけにはいかないでしょう。 今、ほとんどの原発が停まっています。 それでも電力が供給されているのは、火力発電がフル稼働しているからでしょう。 かつて、大気汚染の元凶とされ、廃止すべきだとされた火力発電が、クリーンで安全とされた原子力発電の代替エネルギーになっ...
美術

モローとルオー 聖なるものの継承と変容

雨の土曜日、首都高速を飛ばしてパナソニック本社内にある汐留ミュージアムに出かけました。 お目当ては、「モローとルオー 聖なるものの継承と変容」展です。 ギュスターブ・モローは、私が最も偏愛する絵描きです。 ジョルジュ・ルオーは、フランス国立美術学校でモローが教授を務めていた頃、最も才能を高く評価した愛弟子です。 2人は頻繁に手紙のやり取りをし、「わが子、ルオー」、「偉大なる父」と呼び合う、互いの才能を認め合う師弟でした。 モローは印象派全盛の19世紀末のフランスにあって、ギリシャ神話から題材を採った絵画や、わずかですがキリスト教の宗教画など、およそ印象派とは正反対の、神秘的で耽美的な絵を多く残した、象徴主義の巨匠とされています。 わが国では今も印象派が大人気ですが、解せません。 印象派の絵は健康的に過ぎ、どうも肌に合いません。 一方弟子のルオーは、敬虔なキリスト教徒として、宗教画を多く残しました。 2人の作品群を今日じっくり見比べて、私は圧倒的にモローの絵に惹かれました。 モローの絵の前では、10分でも20分でも立ち尽くしてしまいますが、ルオーの絵の前には1分といられません。 主持ちの...
スポンサーリンク