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文学

1969年の7月20日、アポロ11号は月に到着しました。 1969年8月22日が私の誕生日ですので、私が生まれる少し前に人類は月に降り立ったわけです。 私の生まれ年と一緒というのは、どうでもいいことかもしれませんが、感慨深く感じます。 関係ありませんが、私が愛する「男はつらいよ」シリーズが始まったのもこの年です。男はつらいよ HDリマスター版(第1作)渥美清 その時から54年。 54年前、NASAの偉い人は「50年後には月のホテルでカクテルを飲んでいるさ」と嘯いたそうですが、54年経っても宇宙開発は停滞したままです。 多分金ばかりかかって利益が少ないからでしょうね。 1969年と言えば東西冷戦の真っ最中。 米国もソビエト連邦も、利益を度外視した宇宙開発を意地だけで競っていたものと思われます。 きれいなお月様を眺めると、本当にあそこに降り立った人がいたのかと、不思議な気持ちになります。 アポロ11号の搭乗員の他にも、宇宙飛行士はたくさんいます。 立花隆の著作に、彼らのその後を追った「宇宙からの帰還」というドキュメンタリーがあります。宇宙からの帰還 新版 (中公文庫)立花隆中央公論新社 大...
その他

拙速

今日の首都圏は熱波に襲われています。 35度超えが続出。 私は12時前に近所の中華屋で冷やし中華を食い、その足で徒歩7分ほどのスーパーマーケットに向かいました。 その7分が暑いこと。 日よけにパナマ帽を被っていましたが、それでも上からの熱が凄まじく、さらに下からコンクリートの熱が容赦なく私を襲います。 ここまで暑いのは近年無かったのではないでしょうか。 盛夏、職場では暑気払いと称して宴会を行うのが恒例でした。 それがコロナ禍で無くなりました。 忘年会も新年会も歓迎会も送別会も。 正直、面倒事が減って嬉しく思っています。 ところが、今年の幹事からコロナが5類になったことから、暑気払いを行う予定だが出席するか、というアンケートがメールで発出されました。 5類にしたからと言って、コロナが大人しくしようなどということはあり得ません。 一説には第9波が始まっているという話もあります。 私は時期尚早だとして、暑気払いの開催には反対する旨返信しました。 今、職場では会議室からアクリル板を外すとか、マスクの着用は任意とするとか、会議はなるべく対面でとか、明らかにコロナが収まったという前提の動きが加速度...
散歩・旅行

幕張イオンモール

3連休の中日。 猛暑に見舞われました。 それでも、昨日一日家でごろごろしてかえって疲れたので、涼しい巨大ショッピングモールを歩き回ろうと、車に乗りこみ、幕張を目指しました。 同じ千葉市内、20分ほどで到着。 10時20分です。 それから色々な店を冷やかしながらひたすら歩いて気が付いたら16時30分。 ほとんど一日、幕張イオンモールで過ごしてしまいました。 久々の1万歩超えで、満足です。
その他

変化

今日はお昼に蕎麦屋に行き、帰りに魚屋と八百屋に行った以外は、ひたすら家でごろごろしていました。 もう何度も観たというのに、「昨日何食べた?」という中年ゲイカップルの日常を淡々と描いた深夜ドラマをNetflixで観たり、ソファで昼寝をしたり。 思えばコロナ前は休日にこういう過ごし方をしませんでした。 真夏であれば大型ショッピングモールに出かけて歩数を増やしたり。 とにかくよく出かけていました。 しかしコロナは私の生活を一変させました。 出かけるということが極端に減り、毎年夏に避暑地に行っていたのが、今ではもう面倒くさくなりました。 会議がほとんどオンラインになったり、宴会が無くなったりと、職場での変化も大きかったですが、プライベートも変わりました。 コロナが終息しても、もう前のようにはならないのではないかと思います。 職場の宴会なんて面倒くさいばかりでつまらないし、会議のためだけに飛行機に乗って遠くへ出張するなんて旅費の無駄です。 私自身は、コロナ前のような元気は出ないかもしれませんが、もう少し活動的になりたいと願っています。
社会・政治

追悼 Ryuchellさん

先般タレントのRyuchellさんが27歳の若さで自殺したというニュースが飛び込んできました。 私はこの人についてはテレビで数回見たことがあるだけで、どういう生い立ちで、どのような人物なのかは知りません。 ただ、おかまっぽい見た目や仕草なのに、結婚して子供がいるということに驚かされた記憶があります。 女性に恋をしたのは奥様が初めてだと言っていたので、限りなくゲイに近いバイセクシャルだったのだろうと推測します。 もう20年も前のことになりますか。 職場の後輩が27歳で自殺しました。 過度の仕事量がストレスになったものと思います。 と言うのも、私が彼の前任者だったため、その席がどれほど多くの仕事を抱えているかよく知っていたからです。 ただし、量が多いだけで、難易度は極めて低かったと記憶しています。 それが、私が精神をやられなかった最大の原因だと思います。 自殺願望はうつ状態がひどい時に私を襲い、身辺整理を始めたことがあります。 しかし、あまりにも怖くて断念しました。 Ryuchellさんと言い、後輩と言い、27歳で自殺してしまうその心情には深く同情します。 ただ、仕事が苦痛なら辞職するなり...
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