スポンサーリンク
社会・政治

慰安婦の少女像

韓国の日本大使館前に従軍慰安婦を象徴する少女の像が設置されました。 在韓日本大使はただちに韓国政府に撤去を要請しましたが、韓国政府の返答は曖昧です。 下品なやり方ですねぇ。 もともとこの問題は、吉田清治なる人物が1980年代前半、「私の戦争犯罪」で朝鮮人女性を慰安婦にするために軍が強制連行した、とする記述を行ったことが、官憲側からの告発だとして唯一の証拠とされました。 その後追跡調査をすることなく、宮沢内閣は韓国に平謝りし、河野談話を出すに至って、確たる証拠はないけれど、関係者の証言などの状況証拠から、強制性が認められる、とやってしまいました。 これは失政でした。 唯一の証拠であった吉田清治の著書がねつ造であったことを、1990年代半ば、本人が認めてしまったのですよねぇ 吉田某は週刊新潮とのインタヴューで、「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」、と言い放ったそうです。 現実の問題として吉田がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離せず、検証が不可能であるために、現在では吉田証言が強制連行の存否において信...
社会・政治

優しい虐待

昨夜NHKの「クローズアップ現代」で、優しい虐待について取り上げられていました。 耳慣れない言葉ですが、これがなかなか深刻な問題です。 通常、子どもへの虐待というと、暴力、暴言など、傷害罪にあたるような行為を思い浮かべます。 しかし、そのような行為に及ばなくても、しつけ、教育が過剰であると、子どもは自尊心を持つことができず、突如登校拒否になったりして、親は多いに困惑するというわけです。 子どもはいわゆる良い子が多く、親は親で子どものためを思って心を鬼にして厳しくしつけや教育を行ってきたという思いでいるのです。 優しい虐待の怖ろしいところは、親が自分の教育方針に誤りがあったことを認めず、しかも通常の虐待と同じように親から子へ、子から孫へと連鎖していくのだそうです。 つまり親も子どもの頃優しい虐待を受けて育ち、心中深く、親への憎悪を持ちながら、しかし子どもをどうしつけるかは、憎悪している親と同じような行動しかとれないというわけで、幼少期から思春期にかけて親が子どもにどう接するかは、誠に重要であると言わなければなりません。 私の実家は両親、祖母、兄1人、妹1人、弟1人、家政婦1人、庭の掃除な...
文学

歌合せ

寒い曇りの休暇。 出かける気になれず、小林恭二の「短歌パラダイス」を読みました。 小林恭二というと小説家であり、俳句もよくする俳人でもあり、というイメージがありますが、和歌にも強いんですねぇ。 これは某日、熱海の旅館で行われた現代を代表する歌人たちによる歌合せの報告です。 歌合せとは、すなわち歌合戦。 二手に分かれたチームの歌人が和歌を詠み合い、審判である判者(はんじゃ)が双方の意見交換を聞いた上で優劣を決するというものです。 詠む人を方人(かたうど)、自チームの応援のため意見交換の際、自チームの和歌を褒め、敵チームの和歌をけなす人を念人(おもいびと)と呼ぶそうです。 意見交換に方人は参加できませんが、方人と念人は交代しますので、二つの役割をこなしながら、チームのみなが和歌を詠み、判定されるというわけです。 当然のことながら、自チームの和歌が劣っていると思っても、念人は自チームの和歌を褒めなければなりません。 このあたり、おのれの思想と関係なく、与えられた意見を主張するディベートに似ています。 弁護士なんかとも似ていますね。 室町時代くらいまでは盛んに行われ、「七十一番職人歌合」などの...
その他

巨乳先生

今日は休暇をとりました。 歯医者に行くためです。 私は歯の健康優良児で表彰されたこともあり、歯医者も見惚れるくらい歯が良いのですが、それを良いことに歯磨きをいい加減に続けたせいで、10年ほど前に歯肉炎になりました。 歯肉炎は歯の汚れをとるために二回歯医者に通っただけできれいに治りました。 それ以来、歯磨きを入念に行い、半年に一度、歯石をとりに歯医者に通っています。 今日がその日というわけ。 先ほど約30分の歯石とりは終りました。  歯科医は若い女の先生なのですが、仕事熱心すぎるのか、口の中を覗き込むとき、私の頭頂部にぐいぐいとおっぱいを押し付けます。 しかもけっこうな巨乳。 若い頃なら喜びもしたでしょうが、最近男女問わず他人に触れることに嫌悪感を感じるので、非常に苦痛でした。 その巨乳は惚れた男のためにとっておきなさい。にほんブログ村 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
文学

謀反

西暦658年の12月13日、有間皇子が謀反の疑いをかけられて処刑されました。 享年19歳。 従兄の中大兄皇子に命を狙われていることを知り、精神を病んだふりまでして命長らえようとしましたが、中大兄皇子の意を汲んだ蘇我赤兄に謀反を唆され、中途半端な回答をしたことが命取りになりました。 中大兄皇子から尋問された折、「天と赤兄と知らむ、我もはら解らず」と、悔しい胸のうちを一言だけ述べたそうです。 「万葉集」に、皇子が亡くなる前の歌が二首載っています。 いは代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む 願いかなって無事であったなら、また帰って来てこの松を見よう、というほどの意ですが、刑場に連れて行かれる途中で詠んだ歌と知れば、哀切極まりないものです。  家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る これも切ないですねぇ。 家で食事をする時は食器に飯を盛るが、旅の途中なので椎の葉に盛る 、という、なんていうことのない歌のようですが、その旅が死地に向かうものなんですからねぇ。 昔の皇族は戦国大名のように、身内同士で血で血を洗う戦いを続けていたのですねぇ。 今の平和を祈る天皇と...
スポンサーリンク