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精神障害

病気差別

今日は一日本降りの雨。 千葉市の桜は満開だというのに、雨で家に閉じ込められました。 これでは的屋もあがったりでしょうね。 コロナ禍に見舞われて3年。 ようやく私の職場でもマスクの着用は個人の判断ということになりました。 オンラインでしか認められていなかった会議や打ち合わせも、5月8日以降は対面が認められる予定です。 この措置のせいでまたコロナが猛威を振るう可能性もありますが、少しづつ、正常な日常が取り戻されつつあります。 例年であれば目黒川や上野公園などで花見を楽しんでいましたが、3年もままならず、やっと認められるようになったと思ったら雨。 コロナの最後の悪あがきのような気配が漂っています。 感染症というものは古くはペスト、時代がくだってスペイン風邪など、何度も人類を襲ってきました。 しかしそれらすべてが、やがては終焉を迎えています。 コロナもやがて過去の物になり、そんなこともあったと思い出す日が来るでしょう。 そしてこれからも、新しい感染症が生まれては消えていくのでしょうね。 人の世は栄枯盛衰。 疾病もまた然りです。 今回の疾病流行で痛感させられたのは、マスクの着用や手の消毒、他人と...
その他

今日は一日曇天でしたが、春分の日を楽しまなければなりません。 千葉市では中心部に通称千葉城というのがあって、桜の名所になっており、毎年桜祭りを開催しています。 3月25日からお祭りですが、今年は桜の開花が早いと言うことで、花見というのではなく、どのくらい咲いているか偵察に出かけました。 千葉城までは車で15分ほど。 近くの時間貸し駐車場に車を停めて、結構きつい坂を登って、千葉城の天守閣前の広場へ向かいました。 桜というのは難しいもので、満開に近い桜からほとんど蕾のものもありました。 的屋の準備をしている人々が大勢いましたが、まだ開店している店はありませんでした。 それでも満開に近い桜の下で、早くも花見を楽しんでいる主に若者のグループがいて、気分を盛り上げててくれます。  今週末にはきっとどれも見頃を迎えていると思いますが、生憎週末は雨の予報。 今日観に行って良かったと思います。 千葉城の桜の下をしばし散策して、そのまま千葉大学医学部に向かいました。 千葉大学医学部から千葉大学医学部附属病院にかけて多くの桜があり、こちらも目を楽しませてくれました。 桜の季節は最も忙しい季節で、わが業界の...
社会・政治

天邪鬼

3月13日から政府の方針に従って、私の職場でもマスクの着用は個人の判断ということになりました。 それでもほぼ全員、マスクを着けています。 ほぼ、というのは、私が着用を止めたため、全員では無いからです。 すなわち私以外の全員がマスクを着用していたわけです。 コロナが怖くないからマスクを外したわけではありません。 私は天邪鬼なところがあって、大勢が行っていることの逆に走ってしまいがちです。 もしかしたら、多くの人がマスクの着用を止めたなら、私は着用していたかもしれません。  私は同調圧力がかかると、それに反発したくなります。 みんな一緒というのが大嫌いなのです。 そもそもみんなという 言葉が胸糞悪い。 みんなとは、誰と誰のことなのかと問いたくなります。 少なくとも私は、これまで一度も、みんななる気色の悪い集団に加わったことがなく、孤高を旨としてきました。 それがマスクを止めた唯一の理由と言っても過言ではありません。 わが国民は、多勢に流される傾向があります。 何かをやれと言う時、 米国人はヒーローになれますよ、 英国人は紳士と呼ばれますよ、 日本人はみなさんそうされていますよ、 と言うのが...
社会・政治

少子化対策?

岸田総理が少子化対策のラストチャンスとか称して、その対策なるものを打ち出しました。 主に子育てに係る経済的支援や男性の育児休暇取得増を目指しているように見受けられます。 私はこれに非常な違和感を覚えました。 出産の前提は、まずはパートナーを得ることです。 かつてはお見合いや世話焼きおばさんの活躍などにより、ある程度の年齢になると適当な相手と結婚したものです。 別にとくだん惚れていなくても、それはそれとして結婚することが多かったように思います。 しかし、1980年代後半に男女雇用機会均等法が制定されて結婚より仕事を選ぶほうが格好良いような風潮が生まれました。 さらには1990年代初頭に「結婚しないかもしれない症候群」という本が流行ったり、結婚しない生き方を煽るような雑誌が売れるようになり、未婚率が上昇していきました。結婚しないかもしれない症候群 (角川文庫)谷村 志穂角川書店結婚しないかもしれない症候群 男性編 (角川文庫)谷村 志穂角川書店 そしてお見合い結婚が激減して、適当な相手と年頃になったら結婚する、という美風が薄れていきました。 今ではお見合いという言葉さえ死語となり、婚活とい...
文学

追悼 大江健三郎

昨日、大江健三郎が亡くなったというニュースが飛び込んできました。 88歳、大往生と言ってよいのでしょうね。 ノーベル文学賞を受賞した偉大な小説家でしたが、私はほんの10冊も読んでいません。 書かれている内容はともかく、文章が読みづらいのです。 悪文と言いましょうか? 同じノーベル文学賞を受賞した川端康成先生の流麗な文章とは対照的でした。 一説には英語で書いて訳させているのではないか、という噂までありました。 そんなことは無いと思いますが、翻訳調の不自然なものでした。 そこが苦手な点の一つ。 もう一つは、変に政治的な香りを纏っていること。 日本国家からの文化勲章は断っておきながら、スウェーデン王立科学アカデミーからのノーベル文学賞は嬉々としてうけるという無節操ぶりが不気味でした。 日本が嫌いだったんでしょうねぇ。 好悪の違いはあるにせよ、人生の闘いを終えた魂が安らかであることを祈ります。
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